この窓から隣の病棟が見える。自販機で、珈琲を買っている。やはり背中合わせで、顔見知りの患者の家族が、
自販機で珈琲を買っている。もし、そちらの自販機で私が、珈琲を買っていたら、街の明かりが見えた事だろう。
もう夜も近付き、薄暗くなっている、夕焼けも終わり、そんな空と街を見たくなかった。
この窓からは、隣の病棟だけしか見えない。何の病棟かはよくわからない。地下で繋がっているのか、
中ほどの階層で繋がっているのか、最上階であるここと、隣の病棟は繋がっていない事は確かだ。
そのように考えた。
意識がそのように、考え事に及んで、ふと隣の病棟から目を離した間に、不思議なものを見た。
先ほどの、背中合わせの例の、珈琲を買った人が、隣の病棟にいる。歩いている。
これは、確かに、あの人だった。
この最上階と、隣の病棟のその階層は、繋がっているようだ。しかし、許可なく、病棟を右往左往する
わけにもいかない。確認したい気持ちはあったが、そのうち、医師との面会の時間が来たので、私は、その部屋に行き、用事を済ませて、病院をあとにした。医師はこれから手術があると言った。
隣の病棟は、正面玄関からは見えない。血の匂いの濃いようなところで、手術の病棟なのかも知れなかった。
だが、これは、ただの、私の憶測に過ぎぬ…。
病院の入口には、仁王像がある。ブロンズの仁王像で、土地のオーナーが病院に寄贈したものだ。
私は、その仁王像も、病院に行くたび、気にかけて見てみる。仁王像の足元には、今日は、
貝殻が落ちていた。ハマグリだろうか。白い。
空も街も、すっかり暗くなっていた。病院の玄関も、薄暗い、薄暗い、しかし、僅かな周辺のルクスが、
その貝殻の白さを教えていた。
隣の病棟へと、続く回廊。
仁王像の足元の、白い貝殻。
私には、その二つの事象が、相似形を為した、いわば貝合わせのようなものに感じた。
ぼんやりと、そのように考えた。
私は、歩いて、公団住宅に帰った。
終
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