今日は亡父の一周忌であった。
人間はいつ、死ぬかわからない…。
命と死を見つめよう。
そんなお坊さんの法話があった。
さて…
「街おこし」「にぎわい」の正体なるもの、
わかってしまった。
社会福祉、住民のガス抜き、コミュニティの治安や安定
のため…娯楽の提供…
商業の発展を考えてやっているのではない…。
例えば、個々の店でキャンペーンやセールをやる、
これは顧客開拓と固定化のため…であるのが
常識だろうし、そうするのが商売人の合理性だ。
しかし…
「街おこし」と名の付くもの…
そうではないのだ。
「街おこしをやっている」という姿勢が大事だし、
皆で集まって、「この街を何とかしよう」という
気持ちが大事。
僕は、そういう姿勢や気持ち、
そして社会福祉や娯楽の提供、
コミュニティの安定を否定するものではない。
だから「これは無意味だな…」と思う街おこしでも、
それを精神的に受容していこうと思う。
インバウンドが質量ともに増してゆき、
趣味嗜好がインターネットの影響で多様化・細分化し、
日本人の購買力が細っていく中で、
自分の商売を太らせていく事、
自分の街を太らせていく事、
これは並大抵の事ではできない。
供給が不足して、常に供給よりも
需要が上回っていた時代は過ぎた…。
少年ジャンプが、朝の10時には売り切れた
そんな時代はもう、来ない。
商店街の活性化に行政がお金を出す事は
無意味か?
商業の発展という意味では無意味かも
知れないが、
前述のコミュニティ安定等の理由で
必要な部分もあるし、
…
とりあえず、自分と家族が食べていける
だけの店を切り盛りする、
そんな事も、地方では難しい時代になった。
アメリカでも、大手の小売チェーンが
倒産した…という話を聞く。
こんな時代に、地方の復活、商店街の復活、
それはとても困難である…
今日は父の一周忌であった。
僕の心の傷は、まだ、塞がっていない。
この記事について
このページは、2018年11月4日の午後7時59分に最初に書かれました。
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