隣近所に住んでいるから、誰しも自然に親愛の情を
互いに持ち、思いやりある「地域」コミュニティが
生まれる…。
ところが、「最近の若い人」は、「地域」コミュニティを
軽んじるようになった。
嘆かわしい。
なんていう、
言い草がありますが…。
こういう世界観は、モータリゼーションで破壊され、
更にインターネットで破壊されています。
「隣組」の歌で歌われるようなコミュニティは、
実際的、生活的な互酬関係が成立していたからであって、
我々の現代の生活は、隣近所の互酬関係だけでは
到底、成立しません。
そもそも、電気やガス、水道を、
隣近所で貰ったりしますか?
現在、地域コミュニティが何とか存続している
理由として「非常時の備え」があります。
非常時には電気やガス、水道のインフラが
崩壊しますから(=災害ユートピア)。
非常時において、まず復旧させるのは
「インフラ」である、なんて言われます。
地域コミュニティを復旧させるのではなくて、
再び孤独な、都市生活に回帰する為の
「インフラ」を復旧させる訳です。
さてさて、
若い人はバーチャルのコミュニティに籠っている
みたいな言い方をされますが、
オッサン、オジサンたちは、正に「男性的な」
自動車に乗って、好きなところに行って
好きな人に会っている。
郊外のショッピングモールが人で溢れ、
SNSで異様なまでにコミュニケーションを取る、
人間が人間を嫌いになった訳ではない。
ただ、言えるのは、
仮に、仮に隣に住んでいようと、
好き嫌いや親愛の情、心理的な距離感は別の話で、
「友あり遠方より来たる」なんて申します。
瞬間が永遠になり、永遠が瞬間になる、
例え年一回しか合わない旧友であったとしても、
そちらに限りない慕情を感ずるのが
人間でありましょう。
この記事について
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