例えば、「この製品は日本製ですか?」などと
聞かれる事がある。
例えば中国製のスマートフォン。
しかしOS部分はandroidだから、オープンソースのandroidに
メーカーの仕様を加えたものであるから、
究極的な製品は、グローバルな製品といえる。
純粋な日本製、純粋なアメリカ製などといった
製品は、現代の世界に存在しない。
それは、一種のブランドとしてマーケティングされて
いるだけであり、
埋め込まれたグローバリズムがある。
トランプ大統領が「反中」を唱え、
日本の保守論壇が「反米」を訴えたとしても、
自覚的に、無自覚的に、中国や米国というものが
埋め込まれた生活を送っている、
それが現代のグローバル資本主義というものだ。
トランプ大統領なり、日本の保守論壇なりが、
反中、反米を主張しているのは、
現代においては全くのパフォーマンスに過ぎず、
本当に滑稽を通り越している。
しかし、彼らから見れば、
僕の考えは滑稽なのだろう。
トランプ大統領が子供に
「まだサンタを信じているの?」
と笑ったようにだ…。
反グローバル主義の根拠は、要は
「国家がなくなる」「国体がなくなる」といった
ものであった。
故に、グローバル主義自体を認める訳には
いかないので、
「埋め込まれたグローバリズム」を指摘する事はせず、
彼らは、わかりやすいグローバリズムに抗戦する
ポーズを見せた。
「日本人は時間に正確だ」という美徳がある。
これは、保守系の論壇も、好んで取り上げる
「日本の美点」である。
だが、ジョン・アーリ等が、著作でたびたび引用している、
鉄道網の発達により、都市間の空間と時間が圧縮され、
結局は同じ時間に合わせなくてはならなくなり、
そしてクロック・タイムが生まれた…という話。
グリニッジ標準時、これこそが、
近代のグローバリズムの大きな汽笛ではなかったか。
蒸気機関車の汽笛が時間を告げ、
蒸気機関によるピストンの圧縮は、空間を圧縮している。
日本の開国以降のグローバリズムの包摂は良しとし、
戦後以降の「コカ・コーラ」的なグローバリズムはダメとする、
これは、単に敗戦のトラウマであって、
ある保守系論壇の「グローバリズムはアメリカニズム」という言葉が
それを裏書きしている。
数年前まで、日本の保守論壇が唱えていた
反グローバリズム、それを当のアメリカ大統領が主張するように
なって以降、彼らは単なる「反トランプ」や「反アベ」に
議論を後退させてしまった。
そういう状況で、ダ・パンプの「U.S.A」が流行した意味というものは、
あまりに牽強付会に過ぎるから、偶然によるヒットであるとは
僕も思う。負けに不思議の負けはないが、
勝つ時はいつも不思議さがある。
特に歌はそうだ…。
共同体を維持する為には、敵が必要であり、
コミュニティは内部の結束と排他性が約束事のようなものである。
人間が動物である以上、これは敵で、これは味方だ、という判断を
するようにこの身体にそれが埋め込まれている。
人間は抽象的な考え方ができるので、アメリカに行った事がなくても、
個人的にアメリカ人に侮辱された訳でもなくても、
アメリカというものを憎む事ができる。
だから、僕としては、アメリカを憎むのは止めましょうなどと
説得したい訳ではなくて、
この世界が複雑性だと気付いてしまった我々人間が、
どうやって今後、この地球で生きていくのだろうかという問題を、
マスメディアの事件を追いながらそれを考えるしかないという、
何だろうな、何とも言えない、複雑な感情を持つのである。
固定電話、ラジオ、テレビ、インターネット、モバイル、
そもそもの原点としてのグリニッジ標準時、
最初のうちは、これでローカルは終わった、国体の破壊だ
などと世論が賑わっても、それが「埋め込まれたグローバリズム」
となってしまうと、反グローバリズム主義者たちは、それが
なかったかのように、次の「悪目立ちするグローバリズム」を探す。
僕は、それが、本当に悲しい人間の部分でもあり、
愉快な部分でもあると思う。
「いや、それは日本人の工夫によって別のもっと良い
物に作り替えた」「ローカライズが云々」という議論も
良くあるが、それは、グローバリズムを「ある国のある商売人の策略・悪意」
と狭義化してしまっているからであって、
ローカリズムの成功というのはグローバリズムの終点であるし、
そもそも、「グローバリズム」というのは、
最早、トランプ大統領であっても、逆にネジを巻く事の出来ない、
人間の手を離れて、常にフローして動き続けているものなのである。
グローバリズムの正体は、北米大陸から大気圏へ
蜃気楼のように立ち上るオバケではなくて、
地球のあちらこちらに散らばって、常にネットワークし
フローしている暗黒物質のようなものであると
思う。
人間はもう、テレビを観る事を止めたり、水道ガス電気を使う事を止めたり、
インターネットを使う事を止めたりできない。
それが、かつての世界と全然違うところだ!
反米主義者、反中主義者、反グローバル主義者、
彼らの主張というのは一種の抵抗運動であって、
それ自体に意味がある事は認めるが、
化学実験のように、自分の国から、アメリカや中国、グローバリズムを
分離するのはどうしたって不可能だ。
これではまるで、奇跡を信じるファンタジーだ。
グローバリズムに包囲された、原住民の部族は、
遠くから保護されて、今も、グローバリズムを知らないままだ。
テレビでニュースをチェックしている僕たちは、
例え、ゴリゴリの反グローバリズム主義者であったとしても、
埋め込まれたグローバリズムの身体で、彼らを包囲しているのである。
ある夜に考えた事。
2018.12.31
Bofura Project
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このページは、2018年12月31日の午後7時43分に最初に書かれました。
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