2003年ぐらいにブログが登場して、その直後ぐらいに初期のSNSも生まれている。
ショートメッセージはガラケーの頃からあったし、今流行しているネットサービスの
原型というものは、20世紀末~ゼロ年代に登場している。
TCP/IPにどんなアプリを載せようか、という話で基本的にきているので、
この潮流自体はすぐに変わる事はない。
デジタルネイティブが世界を変える、という話が、まあ、2013年ぐらいに
あったように思う。僕はその頃からとてもこの概念について懐疑的だったん
だけれども、
思春期にネットを経験しようが、中年になってから出会おうが、
はたまたゼロ歳児の頃からネットがあろうが、
サイバースペースに僕らのコミュニティを作ろうなんていう
ヒッピー、サイバーパンクの夢は枯野を駈け廻り、
非常に保守的で、非常にドメスティックで、非常に排他的な
ネットコミュニティが次々と誕生している。
若い人たちは確かに、新しいコンテンツ、新しい技術に対して
意欲的かも知れない、だが、実際やっている事は、
若かろうと保守的な人は保守的な使い方をし、
そうでない人はそうでない使い方をする。
現実にはあまり友人はいないけれども、ネット上に友達はいっぱい、
なんていうのは稀で、オフ会をしてしまえば現実の友達となるし、
現実の人間関係、現実の権力を見事に反映するのが今のインターネットだ、
本当に宝くじが当たるような確率で、世界的にバズったりもするが、
それは本当に稀だ、Twitter検索をすればわかるが、
小さなアカウントというのは本当に多い。
正規分布の罠というか、裾野はあまりアクセスされる事がない、
インターネットで自分が影響力がない事を劣等感に感じやすい
構造になってきているように思う。
僕が繰り返し思い出したいのは、2002年に個人ホームページを始めた
時の、アクセスカウンターが、ひとつ回っただけで
「誰かが見たんだ!」と思った嬉しい気持ちである。
メールを頂いた事もあった。
自分がアクセスが少ない、いいねが少ない、フォロワーが少ない、
そういう事を劣等感に感じてしまう場に、わざわざ自分の身を
投じるのは、自分から不幸の沼に沈んでいるのとも同じ事ではないだろうか?
そして僕が失った感情というのが、インターネットで見ず知らずの人と出会い、
意気投合する、こんな事があろうか…という、
ある種のサイバーパンク・ドリームであって、
そんな風にしていると、おかしな人に絡まれる事も多いし、
インターネット上で麗しく振る舞っていても、実はクズ人間だったなんて事例も
いっぱい見てきてしまうと、とてもじゃないが、自分を騙す事はできない。
結局、インターネットは、現実と同程度に素晴らしく、そしてクズどもも居て、
「ネットは馬鹿と暇人のもの」であるなら、この世界もまた、馬鹿と暇人によって
浪費されている、としか言えないのではないだろうか?
恐らく、現代という時代は、世界が馬鹿と暇人のものになった時代であって、
その理由はひとつ、豊かになったからである。
人間が最低限生きるための産業の割合というのは、どれだけだろうか?
最貧国を除けば、どんな人であれ、自分の馬鹿と暇のために
浪費していないだろうか?
さて…。話が逸れた。
僕は世界を嫌いになりたくないので、SNSというものはもう、ほとんど
やる心算はない。人間だって嫌いになりたくない。
そして…。
バンダイはやっぱり、キャラゲーはクソゲーだって事だ。
たまに名作も出るが、基本的にバンダイという会社は玩具メーカーであって、
バンダイのチームが作るゲームには、ゲームデザインがないし、ゲームの思想
というものは皆無である。
ジャンプフォースは、ムービー詐欺。
ファミ通のレビューがあるかどうか知らないが、
かつてはちゃんと辛口の採点をしていた
連中が、プロモーションがかかっているゲームには
8点とか9点とか10点とか付けていやがって、本当にクソッタレだ。
「漫画のキャラ使ってるだけツマンネ」みたいな正直な意見は
プロのメディアからは消えた。
ダビンチだって基本的に文芸を褒める事しかない、ちゃんと作品を批評して
批判するのが、消費者のレビューだけ、という時代はどうなのだろう、
と僕は思う。
商業主義が強すぎて、プロがプロのレビューをする場がなくなり
つつあるように思う。それだけの良心を発表する媒体を維持できる
のは、今や、インターネットだけなのかも知れない。
書店やCDショップが死んでいるのは、つまんねーモンも良いモンも
問屋が卸してくるから置いて、売れるから売る、それだけの事が
業界の常識になってしまったからではないか、とも思う。
それしかできないのは、やはり店舗の維持という理由もあって、
責める事もできないが、
それをしたいなら古書店や、中古CD屋をやるしかない、
しかし個人の中古CD屋も死につつあるし、御茶ノ水のジャニスも
大変そうだ。僕は悲しい気持ちだ。
この記事について
このページは、2019年2月19日の午後4時02分に最初に書かれました。
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