歴史小説、時代小説に
近代的自我や近代的テーマを採用して
再解釈していくような小説が
僕はあまり好きではない。
それが「歴史ファンタジー」の顔を
しているなら大いにやったら
宜しいが、それを「歴史小説」って
言ってしまうのはなあ…。
最近の大河も、主人公は平和な
世の中の為にやむなく戦争をする
っていうパーソナリティでしょう?
もう、それ、漫画みたいなもんで、
大河ファンタジーだと思うね。
最新の研究で明らかになっている
歴史観ってとても面白いと思うんだが、
脚本家やプロデューサーの頭が
古いからダメなんだな。
反日映画を笑えないよ。
これは古い小説なんかでも
そういう時があって、僕は
山本周五郎はあまり好きじゃないんだ、
マルクス闘争史観を時代小説に
投影させているようなところが
本当にあまり好きではない。
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