かつてはヒロポンだって普通に買える時代があり、
名だたる芸術家、文学者たちが現在で定義される
麻薬をやっていた時代があった。
麻薬をやると、創作能力が高まり、ハイになって
楽しくなる。禁じられているという背徳感もある
だろう。それは違う、創作能力が高まるというのは
幻想だ…という向きもあるが、それはあくまで
現在の法制度を維持するための建前であって、
敢えて言うならきっと「プラス」もあると思う。
あまりに禁じる事で、社会的な背徳感を高めるのも
どうかと思うので、こういう意見もあったら
良いと思って「プラス」もあると思う、と書いた。
「アンチ・オイディプス」という本を読んでいる。
オイディプス、父を殺し母を犯す、これは
あなた方が望んでいるから禁じられている…と
分裂病患者の嫌いなフロイトは言った…だが…、
いや、別にそんな事望んでないし?オイディプスとか
関係ない事だってあるじゃん?という内容の本だった
と思うのだが、麻薬に関しても、別に僕は麻薬を
望んでいないから、禁じられていても興奮しませんよ?
といった人が多数派かと思う。まあ、僕もそうなの
であるが…。だが、一部の人にとっては、
オイディプスも麻薬も「禁じられた欲望」であるのかも
知れない。この辺、よくわからないけど…。
だが、日本においては、禁じられている麻薬、
薬物をやるというのは非常にリスクが高い。
一般人であればおかしな噂が立って仕事がなくなり、
芸能人であればしばらく干されてしまう。
麻薬自体の害そのものよりも、麻薬のバイヤーに
まつわる人脈と関わる危険性、そして法律による
報復、世間体という意味で非常に危険だ。
そうなると「見つからなければ良い」という考え方が
生まれてくるだろう。そう、パクられなければ
みんなハッピーじゃないかという考え方だ。
そういう人にもきっと精神的な処方箋があるのかと
思うが、僕には思い付かない。
おおよそ、麻薬がこの世界に誕生して、麻薬というものを
完全に撲滅した国家というものはない。あらゆる法律に
おいて、全部を摘発するのは難しい。
それを僕らが望んでしまうと、新宿や渋谷でもないのに
常に誰かが街角で職務尋問を受けているような警察国家に
なってしまうだろう。
そうなると、落としどころは、販売については厳罰を、
使用については治療を、といったアプローチが最もマシな
ように思える。事実、麻薬をやる事で良い演技ができたり、
良いフレーズができたとすれば、それが成功体験になって
しまうので、精神的な依存性は高まるだろう。
作品の良し悪しというのは、共同幻想に近いものもあるので、
麻薬による幻想と創作活動というのは相性が良いのだと思う。
まず、社会から麻薬を根絶するのは非常に難しい。
闇社会を完全に退治する事はできない。僕らはドラゴンクエストの
ようなRPGやファンタジーの世界にいるのではない。
麻薬を完全に根絶する社会を願うという事。それはどう考えても
不可能な事だが、僕らは建前ではそのように発言し、思う。
しかし…Facebookは「世界中の人々が繋がる」事を目指して作られた
SNSだ。これは光、あまねく光を!といった大志があったのだろうが、
現在それがどうなって、これからどうしようとしているかは、
皆さんの方がお詳しいだろう。光あるところに闇はあるのである。
また、闇あるところに光もあり…。
悪を語る事でしか、善を語る事は難しいのかも知れない。
僕らは悪を語りながら善を語り、善を語りながら悪を語る。
悪でないものが善であり、善でないものが悪だ。
どうしても闇を見たがる人がいる、闇の中でしか生きられない人が居る。
なんか、書いていて嘘寒くなってきたな…。底冷えするように
嘘寒くなってきたな。ドッセーイ!!!!!
僕個人としては、絶対に関わりたくないし、
怖いものは怖い、
使用者については治療を、販売者については法律による罰を、
と思います。
この記事について
このページは、2019年3月17日の午前10時45分に最初に書かれました。
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