現代の国家の建前として、
あらゆる国民を救済する、というものがある。
だから「年金問題は許せない」となる
訳である。これを言い続ける事には
意味がある。
でも、実際はそうじゃない。
僕らがそんな風に生きられないからだ。
建前は必要だ。だが、野党や、野党の
無謬性にすがる人には、悲しさを
感じる。
令和の時代となり、ひとつの気持ちの区切りとなって、
何かが倒れ込んでしまったり、新たに立ち上がって
前に進んだり…と、個人や組織、国家にとっても、
ひとつの舞台の新しい場面に入ったような
感覚もあるが、これは錯覚だろうか。
思い出はいつだって美しい。平成、昭和、大正、
美しかった過去の思い出を思い出す、そして今を生きる
力を得るのである…。
ナンチテ!?
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