メールのやり取りというのは、
コンピュータ処理ではない。
即レスを返し続けていけば、はやく処理が終わって、
万事メデタシという訳にはいかぬ。
それこそ、じっくり、一晩考えて返す事も
必要だし、それを自分でも行い、相手もそうして
いるのだろう、と思う心の余裕を持たねば
ならぬ。
合縁奇縁、何事も、水の流れるが如く、
近しき者は寄り、遠き者は去る。
さて…。「真田太平記」を読み終わって、終盤に、
真田伊豆守が執心する、京都の女がいる。
「お通」である。不思議な女性で、史実にも名前が
残っているが、かなり不思議な女性のようだ。
お通が、伊豆守の側室であった、という説もあれば、
単に庇護、やり取りしていただけ、という説もある
ようだ。伊豆守とお通の書簡も実際に残されているようだ。
三波春夫の浪曲にも「沼田城物語」がある。さて、
真田日本一の兵、げに、奇妙な物語、武田信玄公の
忘れ形見を、家康は、さほど悪しく思ってはいなかったのでは
ないか…と僕は思う。
信長、秀吉、家康、共通するのは、「名将であれば敵将で
あっても配下としたい」という気持ちである。特に、信長は、
味方に寝返っても、そのやり口が卑劣であれば嫌った、などとも
言われているし…。
名将に学ぶ…という訳ではないが、ひとつの人間ドラマとして、
史実とは別に、参考になる部分もあるかと存ずる。
史実あってこその「大河ドラマ」であるからして、史実には敬意を
払いつつも、割り切って、人間ドラマとして「名将の明暗」を
楽しむ、という気持ちが、心ある歴史ファンの目標となろう。
この記事について
このページは、2019年7月12日の午後3時19分に最初に書かれました。
その後も、内容を更新したり、削除したりする場合があります。
古い記事は、内容が古くなっているか、間違っている場合があります。
その場合でも、訂正や修正をしない事もあります。
また、記事は、用語の厳密性に欠き、表記揺れも含みます。
厳密な調査に基づいた記事ではありません。これは筆者の主観です。
怪文章のようなものもありますので、回覧にはご注意下さい。
自分でも、「馬鹿が馬鹿言ってる」と思うような記事もございます。
SiteMap | ページ一覧 | サイトマップ