次から次へとニュースが配信される。
家庭内のニュースからローカルニュース、
国家のニュースからグローバルなニュース、
楽しいお知らせや雑学ニュース、
政治、経済、文化、ゴシップ…。
一人ひとりが記憶できる情報量には限度がある。
故に、ニュースは、必ず薄まっていく性質を
持つ。
これは必ずしも悪い事ではなく、誰しもが、
自分自身に対しての良くないニュース、風評というものは
持っているものであり、
それを上書きできる機会に満ちている…という事だ。
それは僕にもあるのだが…。
自分への断罪的な意識が、他罰的な言動、思考に
転嫁されないように気を付けたい。
自分を許す事ができなければ、
他人を許す事はできないからだ。
そりゃ、理想を言えば、自分にはとことん厳しく、
他人には寛容の精神を持って…というのが良いかも
知れないが、そこまでの人格者ではない僕は、
自分も許すし、他人も許す…というように
生きていくしかないのだ。
自分に対する悪評に耐え、乗り越えるには…。
反省、分析が終わったら、自分を許してやらないと
いけない。自分を許さない、というストイックな精神は
素晴らしいかも知れないが、それでは、長い人生を
やりおおせる事は難しいと思うのである。
時間がかかる事かも知れないが…。
自分に対する負い目、引け目は、
自分自身に更に罰を与えたり、その負い目、引け目を
隠蔽するために、他罰的な言動、思想を生んだり
する。僕は、コンプレックスを露呈させない
いじめっ子というのを、一度も見た事がないのである。
この記事について
このページは、2019年8月3日の午後4時56分に最初に書かれました。
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自分でも、「馬鹿が馬鹿言ってる」と思うような記事もございます。