精神医学の古典

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フロイトは古典だけど「心理学」、
フーコーの「狂気の歴史」であれば「哲学」、
になるので、別に精神医学の古典というものが
あるように思う。そしてそれは、他の科学書と
比べれば、僕にとっては読みやすい。
 
現代でも、見立てはあり、診察、診断はあり、
これは狂気なのか、一時的な異常なのか、というのは、
単にマニュアルのアンケート的な処理だけでは
見えてこない。このアンケート的な処理というのは、
精神医学の後退なのではないか…と思っている。
 
脳の画像や、脳波が根拠…という話もあり、
脳画像の本を今、一通り読もうと思っているが、
限界はあるし、必ず診察と組み合わせて…
という事が書かれている。
 
統合失調病の患者に特有な脳波の波形が、一部、
正常な人でも見られる事があり、
脳こそが…脳だけが…なんて専門書はないように
思う。唯脳論的な極論は、むしろ、新書や
イラスト多めの初級者本にしか見られない。
つまり俗説という事。
 
また、現実的に、通常の開業医では
MRIなどの設備がないため、脳画像診断や
脳波診断等をしたくても、設備がない。
脳が、脳が、と言っているのは、大病院の医師の
連中なのかな…とも思う。
 
すぐに統合失調的、うつ病的、発達障害的、
アスペ的、と形容を用いるのは、ちょっと待って
欲しいと思う。「糖質」などといった言い換え方が
実に迂遠な上に差別的であり、この言葉を使う
人は、文体、活字というものに対する美学がない。
 
特に、日本の児童をめぐる最近の考え方は、
現場はどうあれ、原則論、建前論としては、
児童が「不快に思った」ら即、出動といった様相を
呈してきており、それが発達障害をめぐる
福祉、援助に接続されている。
児童は不愉快でいてはいけないのであり、修身の教科書のように
朗らかでいなければ異常であるとするなら、これは
比喩的な意味合いにおいて、新しいファシズムのようでもある。
 
精神病の医者の中にも、妙に食事や電磁波にこだわって
電磁波ブロックのグッズを販売する者もいるようで、
本当にピンキリであるからして、専門家が何を
言おうと、自分に合わなければ、これは「好きな作家」
「嫌いな作家」と同じだ。
 
精神科医はアプローチがそれぞれ違うし、それこそが
本質になるところが、他の医科と違うところだ。
DSMを使う医師もあれば、ほぼ使わない医師もある。
調べてみれば、DSMに準拠して診察・診断をしなくては
いけない義務もないようだし…。
 
(このあたりが、医者の世界の曖昧模糊としたところで、
業界の標準をあたかも”守るべきルール”のように言い立てる。
分別のつかない”恋愛小説家”が、恋愛小説以外は小説ではない
と、主張するかのようにだ…)
 
そういう訳で精神医学の古典を収集しようと思う。
 


この記事について
このページは、2019年8月13日の午前5時08分に最初に書かれました。
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