「空っぽの言葉でわたしの夢や子ども時代を盗んだ! 」スウェーデンの16歳、国連の気候行動サミットで涙の訴え
トゥンベリさんは「全てが間違っています。わたしはここにいるべきではありません。海の反対側の学校にいるべきなのです」と目に涙を浮かべて語り、「その上、わたしのところに希望を求めてやってくる? よくそんなことができますね。あなたたちはその空っぽの言葉でわたしの夢を、わたしの子ども時代を盗んでいます」と述べた。
トゥンベリという人が、どういう立場の人かわからないが、
この方は、資本主義に肯定しなければ殺されるような目に遭った
のだろうか?ある種の、主義主張に肯定しなければ危険が迫る
ような状況であったのだろうか?
客観的危機が、主観的危機に昇華されてしまって
いる。トゥンベリという方にとって、地球温暖化というのは
客観的危機の筈だ。客観的危機でなければ、そもそも、
国連で演説をする事はできない。
レトリックとして、演技として、このような主張を
されているならば、エモーショナルな演説をされる方だと
了解するが、本気でこのように信じているのであれば、
何らかの、病理を感じてしまうし、
天才は病気とは、よく言ったものだ。
この手の「魅力」には、注意しないといけない。
主義主張、思想、時代のパラダイム、どれだけ、
自分の意にそぐわないものであっても、それは
客観的な危機だ。思想に死ぬ、殉ずるというのが
古い…と言いたいのではなくて、時代のパラダイムは、
自分自身の存在の有無に関わらず存在する訳で
あって、まず、第一義的に客観的危機である。
それを、誰しも、主観的危機に棚上げしてしまうし、
主観的危機が迫る時は最後の時であるから、ある程度、
それを昇華させるプロセスは誰でも持っている。
だが、それを、このような大舞台で発揮するのは
並大抵の心臓ではないし、この方はあくまで演者
だから、彼女をこの大舞台に上げた「老獪さ」
が気になる。
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このページは、2019年9月24日の午後4時19分に最初に書かれました。
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