短編小説「復活の饒舌」
朴老人は、流れ者の吉住と一緒に住んでいた。朴が昔世話をしてやった者の息子が吉住であり、朴は半身不随となっていた。朴の面倒を見るのが吉住である。吉住は、痩せ型の男であって、小さな頃から朴に遊んでもらっていた。朴も吉住も、華僑グループの一角であったが、朴が体を壊してから、その勢力は既に他の勢力に呑み込まれていた。
朴と吉住は、繁華街の一階にある、こじんまりとした元店舗に住んでいた。店舗を改装して、朴と吉住が暮らせるようにしていたのであった。厨房もすっかり片付けられ、吉住は熱心に朴の面倒を見た。朴は、あまり話さなくなっていた。しかし吉住には心を許しているのであった。
繁華街は、昼間も夜もとても賑わう。大都会の繁華街、とは言っても中心から少し外れてはいるが、喧騒の中にいる。朴は元気な頃はそれを好んだが、最近ではそれが少し鬱陶しいらしく、吉住よ、うるさいのう。と言った。吉住は、ええ、親父さん、参りましたね、と言った。朴は、車椅子を片手で揺らしながら、あーっ、と言った。吉住にはその気持ちがわかるのである。
朴には子供も妻もおらず、昔の女たちは、もういない。彼女らが時々でも訪ねてくればいいと吉住は思うのだが、ふっと姿を消してしまって、3年にもなる。あれだけ朴が手塩にかけてきた女たちは、何という薄情だろうか、と吉住は思った。また朴に対するこの扱いは何だろうか。小さいながらも、華僑グループの首領であった朴に対して、手紙をよこすのがせいぜいで、何ら訪ねてくる事すらない。しかし、朴は、この静かな生活が、良いようだった。
朴は、車椅子で散歩する時、微笑んで、近所の人に会釈する。あの、直情で激しい朴を知らぬ者ばかりだから、好々爺として見られているのだろう。自然と、吉住にも、笑顔がこぼれる。また息子でもないが面倒を見ている、と吉住が打ち明けると、人々は、吉住を褒め、お爺さん、立派な人だったんだねえ、こんなに面倒を見てくれる人がいるなんて…今時、息子でもそんなに見る人はいないよ、と言うのだった。吉住はそれが嬉しかった。吉住も、昔ならば、そんな言葉を鬱陶しいと思っただろうに、朴との静かな生活が、朴と吉住を変えたのである。
そこに、底抜けの津波が押し寄せた。設定は全て流れて、生生流転、朴老人と吉住は、BとYとなった。B&Yは、避難所に居た。そこで、バッファの宣告を受けたのである。Bは、己を刻んだ。歌舞伎町は、元町となって、彼らを呼んだ。其処には、バナナさんがいた。山岳地帯で、鍛えし技を、練りし時、だ。
時は、流れる。
言葉、全て、無となった。この国が、崩落したのであった。しかし、スマイルの習慣は、消えないと見える。Bも、Yも、饒舌に話し始めた。皆、無口たる世界に於いて、Bは、
「それよりさあ。マック行かない。知ってる、石ノ森章太郎って、ゲルマニウムなんだって。それはそうとね、相当イライラしているんだよ。内心ね。この、アレよ、それはそうとね、対になった輪ゴム、知らない。知らないんだ。何にもね」
と、無意味たるリリックを刻む。Yは、細ねぎを、Bの為に刻みながら、全ては、変わってしまったのだ、と思った。その嘆きには、パンパンに、嬉しさの内圧があった。まるで、電電公社が爆発したみたいだった。
(終)
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このページは、2015年9月5日の午後7時53分に最初に書かれました。
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