不要不急の外出を控えるように都知事から「要請」があって、はじめての週末となった。見える自粛と見えない自粛というタイトルだ。芸能人のせんだみつおさんが「自分は自粛しない」と発言されて、ちょっとした話題になったようではある。
これは見える自粛の方で、自粛しない、という事を表明する事を指す。バラエティ番組のコメンテーターたちは、一斉に自粛します、と、「見える自粛」を表明するし、SNSでも、「自粛しません」という発言は目にしない。だが、見えない自粛の方が世間には多いと思う。
渋谷の映像です、原宿の映像です、と、僕らは「見える自粛」を確認している。買いだめ騒動にしても同様で、「見える買いだめ」のイメージを僕たちは見ている。
活字なら大丈夫か?というとそうではなくて、活字による記事においても、やはり、ビジュアル的である。スナップ写真的に活字で描写する事は可能だ。
最近は、そのあたりを更に乗り越えてきて、携帯電話なんかのデータを利用して、そのあたりの人口密度なんかをデータで提供するサービスが有料であったりする。確か、キャリア提供のサービスであったように思う。そうなると、その少なくとも生のデータにおいては、見える自粛、見えない自粛が、かなりの精度であわらになってしまう。
しかし、データ主義…というより、データそのものよりもデータの解釈の方が流通するのがこのネット時代であるし(このブログもそうだ)、今回は、金融相場もそうだが、未知のリスクといった意味合いがかなり強い。よくわからないものだからこそ、見える自粛…という、Visibleなものを見て確認するようになるのだと思う。
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