表現という情動

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「北の国から」は、別に町おこしのために作ったものではなくて、
あの北の大地を表現したい、北の大地の生活を表現したい、
という志あってこその、作品である。
 
昨今、ロケハンの誘致を自治体で、なんて事も行われて
いたりして、アニメの聖地巡礼をかなり意識的に行ったり
する事案がある。
 
その手の作品に先立つのは、まずプロモーションであり、
マーケティングだ。テレビの地方局なんかも、ロケハンに
使われたなんて事に熱心であるし、まず商売としてやるために
固定客を捕まえようという意識があるのだろう。
 
映画なんかでも、中国の客を意識して、中国人を悪役にする
のをやめたりして、また舞台を上海にするなど、
メジャーからマイナーまでその手の事は数多くある。
 
プロモーションと言えば、反日映画というジャンルがあって、
これも明確なプロモーションの意志に基づくものだ。
ロケハンを意識した作品や、反日映画にだって
名作、佳作はあると思うが、概して、固定客に媚びへつらった
作品が多いため、無関係の
世界の大衆の心を掴むまでには至らない。
 
この作品のモデルとなった場所は?とか、
そういう事を言い過ぎる時代のように思う。
場所は必然性があってその場所、というのでなくて、
あまりにプロモーションやマーケティングが先立つので、
よう、騙されて、のこのこ巡礼するな、と呆れている。
近所の人がテレビに映ったとかそういうレベルで
心底好きになれんの?
 
そのへんがさ、ようわからんのよ。
本当にヒットして面白い映画っていうのは、
場所とか題材に必然性があると思うのよ。
コツコツ、バンドを狙うような作品っていうのは、
まあ作って商売をする自由はあるが、
みんなで飛び付くもんじゃあ、ないずらバッテントイ!!
 
全米が泣いただの、全米が笑っただの、
よう言われますが、
少なくとも、全米を泣かせよう、全米を笑わせよう、
と、姑息なターゲティングをしないで大衆に訴え
かける、その意気や良し!


この記事について
このページは、2019年2月19日の午後4時53分に最初に書かれました。
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