エイプリル・フール

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Twitterを見ていると今日はエイプリル・フールなので、嘘を嘘と言って道化ているツイートを幾つか見た。僕はエイプリル・フールというもの自体が何ひとつ面白いとは思わず、使い古されたユーモアで、心の奥底がしくしくと痛み出すような感覚をおぼえる。エイプリル・フールで道化ぬ者はユーモアを解さない真面目人間だ、と言われているような気がして、そのような型にはまったユーモアというのは捨て去ってしまいたいと思っている。
 
しかしこの世からエイプリル・フールを拭い去る事はできない。それはひどく些末な事だからだ。
 
Bofura Projectでアルバムを出して、ここのところは動画を制作したりしている。去年の暮れぐらいだったか、パソコンがいきなりクラッシュしてしまった事があって、データの復旧ができなかった時は、「もう自分はこれで制作活動を止めよう」とまで思った。今はそんな風には思ってはいないのだが、このままで良いのかな?というのは人に言われるまでもなく、自分がいちばん強くそう思っている。
 
幸運にも、今までの人生の中で今がいちばん制作が安定し、意欲もあり、環境にも恵まれ、人にも恵まれている状態である。だからこのまま続けていきたいのだが、美しいうちに幕を引きたいという気持ちはずっと思っている。末期まで何かをやり続けるというのも良いのだが、春の暖かい日差しの中、菜の花畑に倒れ込んで死ぬような、そんな末期があっても良いかなあとも思う。
 
エイプリル・フールは、世の中には嘘がある、という事を思い出させるという意味では重要な風習だと思う。たまさかにこの世に嘘があるなんて、と思うような素直な人を驚かせるいわば免疫の訓練のようなものだ。しかしエイプリル・フールがあろうとなかろうと、この世はやはり虚ろなのかなあとも思う。嘘を嘘だとわかっていても政策を変更できない日本の政治を見ていると、実にこの浮世は虚ろだなあと思う。


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