不要不急の外出を控えるように、という要請があり、それを受けて、一部百貨店や飲食チェーン、その他店舗が、自主的に営業を短縮・自粛するようになってきた。
芸能人のスキャンダルを社会的制裁で裁くように、社会的な「圧」に頼った「要請」である。緊急事態宣言を出して、それを都内で適用すれば、もう少し法的な裏付けが取れるのではあるが、現状は、あくまで市民の良識というものに委ねられている。
何故「要請」なのか。命令してしまった場合、その後、所得補償などを政策的に行う必要が出てくるから…だと僕は思っている。これは邪推だろうか?日本のような「口先介入」と、他国のような「強権的封鎖」と、どちらが良いか?というのは、現段階ではジャッジできないと思っている。
トロッコ問題というか、確かに、色々な正義、主張、信念がある。現状は、経済的便益をかなぐり捨てて、衛生面の向上にステータスを振ろうとしている。だが、公務員も医療関係者も、激務である事は僕は承知しているつもりであるのだが、「自粛」をして、公務員や医療関係者は失業しないだろうが、民間部門は失業、倒産のリスクがある。あなた方は、もちろん善意で要請しているのでしょうが、あなた方は失業しないでしょう?と僕は言いたい。公務員も医療関係者も勿論民間も、正と邪があり、良いも悪いもあろう。だが、医者と公務員と失業者だけが残った…というのが見える「勝利」であるならば、民間は、「要請」を無視するように行動しても、何も不思議ではない。
ここの部分を解決しない限り、本当の自粛というのはできない。だが、これは長期戦になる事であり、経済を全て殺して感染症に打ち勝ったとして、その後、日本や世界はどうなるのだろう?と思う。資金面のニュースを見ても、日本においては中小企業の融資の申し出が増えているようで(融資については日本銀行は対応しているが、最終的な貸し主は銀行になるため、徳政令的な貸し出しはできません)、また、Reutersなどを見ると、いわゆる「クルーズ船」のキャッシュも、一年以上耐えられる状況にはないようだ。これは未知のリスクであって、感染経路を完全にマークできない以上、「ちょうど良い自粛」というのは難しい。
自粛せよ、自粛せよとは言いつつ、外食産業・小売産業・不要不急の産業の売上が「1円も立たない」場合の体制というのは取られていない。「要請」というのはそういうソフトなスタイルである。であるとするなら、「全国民一致団結して完全なる自粛体制を取る」という訳にはいかなくなる。商売は相違いであり、そんな状況になったら干上がってしまうのに、市民の責任・良識でもって、そんなような行動を取れる、と思う方がおかしい。客商売でない専門家の学者たち、仕事を失わない医療関係者、公務員の言葉が届かなくて当然である。そして医療関係者と公務員は、このような状況ではオーバーワークになり易く、彼らからすれば「何でこんなに一生懸命やっているのに言う事を聞かないんだ」と思っている事だろう。
法的な裏付け、強制力がないかわりに、メディアが恐怖と混乱を煽る形になっている。ネットもテレビも極論が多くなってしまっているし(このブログもそうかも知れない)、厚生省のガイダンスを見ると、あくまで人混みや密室という条件が重なる事を避ける、といった程度で、2、3人の会合までをも禁止するという指導にはなっていない。
特に中国等の独裁国家では、今後、感染症対策を口実に、個人のトレース・マーキングが進められていくのではないかと思う。生政治(せいせいじ)の誕生である。日本においては、ソーシャル・ネットワークにおいての生政治が発達していくのではないかと思う。芸能人のスキャンダル、ちょっとした発言を云々するのも、ある種の初期的な生政治の形態のように思うのである。
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このページは、2020年3月28日の午前4時43分に最初に書かれました。
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