僕ら日本人が「日本主義」「東洋主義」を
標榜しようと考える時、
まるでオリエンタリズムをなぞっているような
気分にならないだろうか?
「古き良き日本の伝統」「東洋の神秘」
などと、茶化しても真面目にも言われるが、
極東から古き極東へ、という旅路は、
オリエンタリズムの旗のはためくところ、
指し示すところ…。
逆に、西欧文化であれ、日本的な美学、
昨今であればコンマリメソッド、禅、寿司、
東洋の神秘にも魅せられている、
純粋な東洋文化、西欧文化というのはなくて、
随分と混濁しているものだ。
ましてや、世界の中の日本、日本の中の地方と
なれば、オリジナルな地方文化というのは存在せず、
Global-Local = Glocalとして存在する、
グローバルに対峙するものとしてのローカルである、
街のイベントというものは、普段、グローバルに生活
している我々にローカルのショーアップをするものだ。
オリジナルが存在できないのは、文化がない訳ではなく、
オリジナルだけで存続できる資本が投下されないだけの
話だ。ローカルの人間が文化的貧困を抱えているから
オリジナルがない訳ではない。
単純に、資本だけの問題だ。
例えばハワイ、バリ島、パリ、ローカルが輝いているように
思えるところ、それら文化=観光資源に集中的に
資本が投下される。何故なら儲かるからだ。
そこでは、文化的差異はカリカチュアライズされ、
消費しやすくなっている。その後を追うという事は、
僕らの地元をカリカチュアライズし、道化ていくという事なのだ。
僕は、ローカリズムもナショナリズムもグローバリズムも
混濁してしまっているのが現実であるし、
そのどれかを抽出して除いてしまおうと考えるものではない。
また、誰しも、純化したローカリズム、あるいは純化した
グローバリズムでもって生活を回していく事はできない。
町おこしのイベントを、僕はローカリズムの現象として
眺めている。資本を回収する行為ではないのだ。
これは、社会福祉事業のようなものだ。
コミュニティ主義だ。
さて…。かつて、日本のコミュニティは崩壊した、と
絶叫していた諸君!
現代の日本で、あらゆる地方で行われている「街おこし」を
どう見るね?
地方らしさでお道化て、カリカチュアライズしていく精神を
素晴らしき愛郷主義と絶賛するかね?
だんまりはあんまりじゃないか。
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このページは、2019年3月3日の午後4時52分に最初に書かれました。
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