Mousou

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多重人格妄想と、多重人格は違う。かつて多重人格診断ブームというのがあって、何かの映画かの影響で「自分も多重人格ではないか」と思い込んで、診断を受けたという。同様に、憑依妄想と憑依は違う。精神病は、こちらが思っている以上に文化に影響を受けるので、「狐憑き」の文化があるところではそれが、「先祖の呪い」の文化があればそれが発生しやすくなる。
 
発達障害やアスペルガーもそうだ…とまでは言わないが、発達障害妄想、アスペルガー妄想というのも同様にありそうである。病前性格や病的性格(単なる極悪人も、精神疾患になってしまうのは、一体どういう事なのだろう)というのを否定して「全て病気のせい」と人道的に解釈する向きを見ると、「それでは、精神病の人は、精神病に脳みそを完全にハックされているのか?」と皮肉でも言いたくなる。まるで精神病、精神疾患というものの実態があるかのような風潮があるが、それは、「悪霊に取り憑かれている」という思想と精神医学の融合である。悪霊に(DSMやICDに準拠した)名前を付けるだけのように思うが。
 
統合失調症の人を「統合失調(症)者」と呼ぶのは好きではない、というエッセイがあったが(中井久夫氏のエッセイではなかっただろうか)、精神病にしても、セクシャリティにしても、それ自体をアイデンティティにするのは多様性であるが、マイノリティ属性があるならそれを掲げないといけない、というのは、いささか強迫神経症的に過ぎる。それを喧伝する側たるや、いかにもメディア的な文脈であって、躁病的な宣伝方法だ。
 
憑依妄想も、統合失調症の一症状としては有り得そうなので、この手の精神病の世界というのは、それぞれの文化の元で、あくまで分類主義的に分類している、というところはなきにしもあらずだ。植物や動物と違って、目に見えないものであるから、あまり博物学的に考えてしまうと、迷路に入ってしまうだろう。博物学的な分類より、化学的な分類より、そして数学的な分類よりもより、抽象度が高い。いや、定義同士の関係という点で言えば、数学的な分類に最も近いのではないかとも思う。概念の拡張のやり方は、数学の”発見”に近いのでは?
 
そう言えば、とある本で「気象の分類方法に近い」とあったな。visibleとinvisibleの部分が混じっているあたりは、確かに気象学分類的であると言えよう。数値が常に動的に変化し、数値だけで決まらない複雑性を持っているところも、比喩として成立しそうだ。医師というもの、そして精神科医師というもの、「作家」に近いものはある。臨床の中で医師性=作家性といったものはできあがっていく。


この記事について
このページは、2020年4月7日の午後2時46分に最初に書かれました。
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