何をもって「首相の器」とするか。安倍晋三は首相の器ではない、といった論説が見られる…には見られる。だが、「名宰相」と言われるような人物というのは、周囲のフォローや、時代的な幸運も、かなり、いや相当程度含まれている。
昇り龍のような時代ではなく、今は下がり目の時代を日本は迎えている。誰が首相をやっていても、バカだ、アホだ、無能だと言われるだろう。それはそうである。であるからして、賢明な人は政治家を目指さない。GAFAが天下を取った事でわかるように、民間のグローバルで活躍した方が、よほど自由で、よほど権力を得て、よほど名声と富を築く事ができるからだ。
首相というもの、一国の代表というものは、PTA会長や学級委員長と違って、「優しい人」「感じの良い人」「嘘をつかない人」なら良い訳ではない。十秒考えればそんな事はわかる。国家というものは、鵺のような複雑な機構を示し、恩が仇となり、仇が恩となる世界である。それこそ、時代が追い風であれば「よくやった!」と褒められる事は多い。
そもそも…おおよそ、「善政」というものは、数えてみれば奇跡的な一時に過ぎず…権力者というもの、大衆の恨みも感謝も一身にその身に受ける。「善政」は、基盤となるのは経済的な力であり、大衆の力が充実している時である。そういう時に、間違いなく舵取りをすれば、善政となろう。
現代においては、あらゆる挙動が観察され、あらゆる発言が取りざたされて、当の権力者こそが、生政治(=生身の人間を支配する政治)によって統治されてしまっている。
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