発達障害の子供について、
厚生労働省と、文部科学省の担当のところに電話して
聞いたみた事をまとめる。僕の意見も含む。
まず、厚労省の立場からいえば、発達障害は病気では
ない。「特性」である。
簡単に言うと「生きづらさ」の解消。
本当は病気ではないのか、建前で言っているのでは
ないのか、差別にならない為の建前の言葉で
「特性」と言っているのか?と執拗に問うと、
結局、「生きづらさ」の解消…という回答。
病気ではないのに、どうして病院で診察して
検査結果が出るのか?という問いに関しては無回答。
生きづらさは誰にでもあるのに、どうして発達「障害」と
名付けられているのか?についても無回答。
病理としたら構造が曖昧である事については、
認めないが反論もなし。そういう事を言っていると、
「人それぞれ」「生きづらさ」の話を返してくる。
一般的な事しか言う事ができず、診断書が出た医療機関
(発達障害の診断書は医療機関しか出せないという説明)に
問い合わせてくれとの事。
非常に曖昧な扱い。
これが親が混乱する理由。
文科省の立場。まず、発達障害の診断あるなし、
という事で、参考にはするが、学校はあくまで学校、という回答。
「発達障害」という概念を学校教育に取り入れている理由は、
あくまで学習、運動、等々、活動の支援、
友達と楽しく遊べるか?というもの。
つまり従来と変わらない…ですよね?と
問いかけたら肯定。
学校においては、発達障害の診断書というものに
とらわれるべきではないし、病院の診断に学校が
従属する訳ではない。
あくまで連携でやっていく話。
学校は学校、病院は病院。…と説明。
結局は学校の先生次第、という事については
同意された。
診断書に関して、厚生労働省は「それを出した医療機関に問い合わせてくれ」
文部科学省は「診断書はあくまで診断書、学校は学校」
との事。
おそらく、病気ではないのに、病院で診断書が出る、
というのは、「福祉」の扱いで処理している。
厚生労働省の取り組みは福祉、というのは、文科省の説明。
福祉の扱いであれば、貧困支援、DV支援と同じレベルの
扱いで行える。福祉の立場として、貧困やDVを発見するように
発達障害をスクリーニングして発見している、のではないだろうか。
発達支援の生徒が増えている事について、スクリーニングを
強化している結果ではないか、そんなに有意義であれば
全数検査をしたらどうか?という問いに対し、厚生労働省は
無回答だったため、上記の、「福祉としての問題発見」
の立場に立てば、一応、整合性が取れる。
文科省の電話の話の限りでは、文科省はICDの分類に
準拠している?厚労省の電話の時は、DSMで病院は診断
しているのかという問いに対して、それも含む、と
回答。これについては不明であり、そうだとして
問題があるかどうかも不明。
発達障害はまだ未成熟な分野なので、慎重にやって欲しい、
という問いに対し、厚生労働省は無回答(厚労省の無回答は、
“人それぞれ”と”生きづらさ”の二題話に終始するパターン)、
文部科学省は、これからもモデルケースを作成して
調査を行っていく、と回答。
なお、厚生労働省に関しては地方の支局の相談センター、
文部科学省については省の担当の内線でかけている。
わざわざ地方にかけたのではなく、ホームページの
相談先の案内が住んでいる地方になっていたのでそこに電話しただけ。
わざと支局にかけて回答のレベルを下げている訳ではない。
また、厚生労働省→文科省の順番で電話している為、
最初の電話に僕の怒り、疑問、毒が出やすく
なっている事は了解されたい。
だが、厚労省は、肝心な話になると、「人それぞれ」「生きづらさ」の
二題話しか、してくれない傾向が強い。これは社会的な誤解を
生む構造になっている。
僕の私見、推測も混じっているが、
僕はこういう理解で了承している。
診断書に囚われるべきではない、という文科省の担当
の助言をいれ、僕はICDとDSMの本の注文をキャンセル
した。
病院で生活する訳ではなくて、学校で生活するので、
僕は文科省の回答に重きを置く。
追記したが、不明な記述になったので削除。
参考図書
反面教師としてのDSM-精神科臨床診断の方法論をめぐって- 星和出版
過剰診断 健康診断があなたを病気にする 筑摩書房
追記。ここからは僕の意見となる。
改めて、発達障害というものの、病理の構造としての不完全さを
感じた。この回答の曖昧さは、病理としての不完全性というより、
病理を隠蔽しているように、社会は受け取ってしまっている。
隠蔽しているのは病理ではなく、病理としての不完全性である。
MRIでは何もわからない(事が多い)、人それぞれの「特性」がある、
と厚生労働省は質問に回答。病理としての不完全性を隠す事で
社会は病理そのものを隠蔽しているものと誤解し、
発達障害が「得体の知れない病気」というように思われて
しまっている。これは行政や政府の失敗である。
確かに、ICDやDSMで、発達障害は定義されている。
それに準拠して対応している、という回答は、厚生労働省や
文部科学省からはなされた。だが、つまるところ、うつ病や
統合失調症のような、社会や環境からある程度、独立して
症状が観察できるような「症状」がなく、どちらも、省庁の
回答は「人それぞれ」。ICDやDSMで定義されているから
「ガチの精神病」という訳ではない。むしろ、取りこぼしを
なくすための定義。故に、福祉、教育のジャンルで
チャレンジする課題になっている。
従来型の、児童心理学や教育学に基づく、それぞれの個別
指導で対応できていた状況に対し、何故発達障害という
概念を持ち込んだのか?と質問したところ、
厚生労働省、違うアプローチがある事は認めるものの
経緯については知らない、との事。文部科学省、
従来型の指導に加えて、ICDの定義に準拠して
行っていると回答。その他は前述通り。
得体の知れない病気としての誤解…と言えば、ハンセン氏病が
思い出される。構造に違いはあるが、かなり近い状況に
なりかねない。文部科学省の指揮する、現場での柔軟な対応を
期待したい。つまり、良い先生に当たりますように、
って事だ。
発達障害は、病気でない、特性である、とするなら、
結局は「概念」のレベル。最近、この手の「概念」のような
精神病が多い気がする。体感的には、概念レベルの精神病がアメリカで発明され、
製薬会社で薬が作られ、臨床試験され、定義されて、輸入されるイメージ。
WHOがどうだとかいう意見もあろうが、アメリカもどこもロビー政治は盛ん。
国際機関がロビー活動から独立した、正義の団体…とは僕は信じ切れない。
陰謀論がどうとか言うんじゃなくて、やっぱり人間はカネとか女とか欲望で動く。不変。
発達障害はまだ、福祉や教育で「チャレンジする課題」として、
旧来型の教育に組み込む事ができているから、マシかも知れない。
概念としては成立している発達障害を、福祉、教育としての課題として
すり替える事に成功した。このすり替えこそが、日本の官僚の良心だと解釈。
繰り返すが、結局は、話のわかる先生、これが大事。
バーボン飲んでからの追記:
文部科学省の担当の人は、
「診断書なんて気にせずに、そのままの子供を愛して下さい」
という意味の事を言いました。発達障害の子を持つ親族、親の皆さん、
病院や厚労省がどう言おうとも、これが、日本の学校を司る、
文部科学省の官僚の言葉であるという事を胸に刻みましょう。
この記事について
このページは、2019年7月16日の午後12時31分に最初に書かれました。
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