検閲と芸術

with コメントはまだありません

#Sponsored


検閲を通らない芸術…というのをやりたければ、
それなりにやり方を考えないといけない。
 
あいち芸術祭での
「検閲」は、出し方や出す場を工夫すれば
回避はできた問題のように思う。
 
センシティブなテーマであれば、
小さな展覧会を続けて、アーティストと市民の
対話や議論を続けながら、地道に草の根的に展開して
いけば、様々な解釈が得られただろうが、
(こういうやり方にも異論はあるかと思う)
大きな打ち上げ花火を上げてしまったので…。
 
検閲はあるし、芸術は無罪で常に開かれ、
大衆に見せられなければならない…というのは
建前も建前で…やはり検閲もあれば、
圧力もある。
 
検閲と戦う事自体が、芸術のパフォーマンスの一部にも
なっていて…その実、騒がれた割に大した事がない…
というのも歴史の語るところ…。
 
検閲、圧力と拮抗するところまでが芸術であると
するなら、あいち芸術祭のアートは成功していると
いえるだろう。問題になっているのは、現代アートの
枠組であるように思えるので、尚更であろう。
 
言うまでもない事だが…。
 
検閲も圧力もない世界を望んではいけない。
それでは、芸術やアートが権力になってしまう。
苦しい戦いであっても、拮抗していて不安定なのが
望むべき状態なのかと思うのである。


この記事について


このページは、2019年8月7日に最初に書かれました。
その後も、内容を更新したり、削除したりする場合があります。
古い記事は、内容が古くなっているか、間違っている場合があります。
その場合でも、訂正や修正をしない事もあります。
また、記事は、用語の厳密性に欠き、表記揺れも含みます。
厳密な調査に基づいた記事ではありません。これは筆者の主観です。
怪文章のようなものもありますので、回覧にはご注意下さい。
自分でも、「馬鹿が馬鹿言ってる」と思うような記事もございます。


SiteMap | ページ一覧 | サイトマップ