Kissaten de Ikiru Obasan

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「イキる」という言葉がある。「イキがってる」という言葉が縮められて、関西圏の人がよく「イキる」と使うようになったのだと思う。ちょっと前は「チョづいてる」=「調子づいている」という言い回しがあった。
 
イキろうと、イキるまいと、まあ、自由にすれば良い。喫茶店で、2、3人で来て、ベラベラ、ベラベラ、他人の批評や悪口、そして自己保身のための、噂話をずーっとして居座るお婆さんたちは、完全に「イキっている」と思う。うるせーし、何なら矛先があちこちいくし、まあ、暇だからああやって時間を無駄にしているのだろうが、お喋り以外の趣味がない人は、イキる事が最大の幸福なのだろう。
 
それはそうと…ゲーム開発もだいぶ安定期に入って、これから何をしたら良いか…というのが、ハッキリ見えてくるようになった。システム面、ストーリー面で入れてゆきたい要素、仕組み、特にストーリーや設定において、フックとなるような仕掛けを入れてゆきたい。
 
それが佳境になってきた時…またぞろ、信長の野望を始めてしまった。これのせいで、どうも朝早く目が覚めてしまう。ゲーム開発より、ゲームをやった方が疲労が残るし、目が特に疲れる。もう、途中でやめちゃおっかなーと思う。何かに義理立てて、とりあえずクリアだけしよう、と思わなくても良い。既にプレイ時間は、記録上は640時間だから、300時間ぐらいはやっていると思う(起動したまま、放置する時間等を大目に除いて)。新しいドラクエをスイッチでやったが、あれは面白かった。でも、声をあげて「やったー!」と思うのは、やはりゲーム開発だ。
 
ここのところ、アクセスが安定してきたから、思わず忘れそうになるけれども、この世で、たったひとりの人が面白い、と言うゲームができたら、それで良いし、長期的に考えて、一か月にひとりプレイするだけでも良い。そう考えないといけない。ネットにコンテンツが足りない時代はもう終わっているのだが、その感覚が残っていると、「なんでやってくれない」と思ってしまう。既に飽和状態である。
 
だが、飽和状態でもなお、まだ、世界でやっていない事があり、それを見つけたからこそ、僕はゲーム開発をしているのである。漫画も然りである。
 
とは言え…やはりまだ、凡庸の域を脱してない…というのは、自分でも少し自覚している。本来の凡庸さを、表面的な奇矯さでごまかしているのではないか…とも思う。「大介護列車」というゲームを作ったが、これはもう一本だけ、「真・大介護列車」というのを作ろうと思っている。だが、それはだいぶ、先になりそうだ。かつて、体育部に注いだぐらいの情熱を、この10年、ゲーム開発に注いでみようと思っている。


この記事について
このページは、2020年3月5日の午前8時57分に最初に書かれました。
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