街おこしは悲しい

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地方創生大全」「福岡市が地方最強の都市になった理由」「商店街はなぜ滅びるのか」「なぜ繁栄している商店街は1%しかないのか」「観光のまなざし」等を読んだ。
  
商工会議所に勤めている友達がいたのだが、「ラブライブを販促に使わない店舗は愚かだ」「うちの市民は人材がいない、隣の芝生は青い?いや、もうここは腐ってるから」などと言われ、ドタマに来て勉強した。
  
「街ににぎわい」って何だろうか、とはずっと思っていた。祭りなり、イベントなりをしている時は、それなりに街に人が集まる。それ以外は本当に、特に祝日、閑散としてしまっている事がある。
  
ラブライブは、今、この街の、特に商工会議所による「お墨付きの販促ツール」と化している。事実、ラブライバーの人が沢山、街を訪れてくれている。
  
それ自体は、とても素晴らしい事だ、と思う。一時的な流入人口、移動人口が増えたという実績はまず、ある。それは肯定的に考えている(未読だが、ジョン・アーリの「モビリティーズ 移動の社会学」という本もある。移動性モビリティという概念が観光において注目されている)。しかしそこで終わってしまってはいけない。物語であるような「ホラ、こんなに街が賑わって、お客さんでいっぱい…」という、情緒的な成功の感覚で終わってしまう。そこから先は、ゼニだ。
  
ラブライバーが街に来て、まず銭を取れているのは鉄道・バス・タクシーなどの交通機関、それからホテル・旅館などの宿泊施設だ。次点として、外食産業でラブライバー対応しているところだろう。
  
ラブライブによって、この街を「ラブライブのテーマパーク」のようにデザインしようとしているのは、何となく感じている。「観光のまなざし」でも指摘されていた、テーマパーク化だ。
  
確かに、最近は「ナントカの街」「カントカの街」と、テーマを掲げて、町おこしに取り組む自治体が多い。テーマパーク化は、少なくとも現代の日本都市においては、ひとつの趨勢といえる。
  
前出の「もっとラブライバー対応の店舗を増やせ」という商工会議所の友達の発言も、この街にもっと「ラブライバー」というテーマを、という意味だろう。
  
曖昧な顧客ターゲットを薄く広く絞るよりも、確かに「ラブライブのファン」としっかり定義して街のテーマを決める…悪い事ではない。銀座とか、六本木とか、福岡とか、巨大で大量の資本が入っているところと差別化していくには、そういうテーマ性は必要かも知れない。移動性モビリティによって、休日・祝日に、地方から巨大な都市や、ショッピングモールに、人が吸い込まれているという実態がある。
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だが僕らは、しっかり現実を見ていかなければならない。
  
指標にするのは、「人口」と「税収」だろう。これが一番嘘のない、出口だからだ。
  
このうち、「人口」よりも「税収」の方が大事だ。これから、移民の方も増えていくだろうが、まず、自治体を維持していくには、所得の多い人を増やし、平均所得が高い街であれば、街は豊かになったと言える。
  
最大の福祉は、労働人口が仕事を選択でき、所得のレンジを上にスライドさせる事だ。税収あってこその福祉だ。
  
「ラブライブすごい」「すごい」と囃し立てるだけでなく、このテーマパーク化によってどれだけ雇用が増えたか、所得が増えたか、そして最後に人口が流入したか、という点…。
  
とかく、行政や商工会議所のやる「街おこし」には、数字が出てこない。嘘ばっかりの打ち上げ花火の「経済効果」なんて全く信じられない。
  
これではまるで、コミュニティや自治会の「祭り」とさほど変わらず、僕は本当に白け切っている。
  
街おこしというのが、感情的な、感覚的な、懐古的なところでとどまっているように思う。数字にこだわらなければ、街全体として、グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル等々のグローバルな力に負けてしまうだろう。いや、僕らがそれに負けているからこそ、FANGがこれだけ伸びていったのだ。
  
様々な企業史を見ていくと、あれだけ権勢をふるっていた企業が、戦略を誤って、見るも無残に転げ落ちていく事がある。僕らの街の行政や、商工会議所は舵取りを間違えない、なんて事はない。更に歴史を振り返ってみると、世界全体が、選択を間違える事もある。この世の中は、ベストな最適化の結果ではない。だからこそ、抗う。
  
これでは、一緒に街おこしをやろう、なんて気にならない。「自分の店の事だけを考えていないで、一緒に街おこしを」なんて言われるが、どうしてこんな感情的で感覚的で懐古的な茶番に付き合えるだろう?街おこしは悲しい。僕は、街おこしの言葉から目と耳を塞いで、自分のやるべき事をやろうと思う。決して邪魔はしないさ。
  
街おこしで成功する事例も、あるだろう。その成功事例集を片手に、コンサルタントや商工会議所が、ガハハ、ガハハと陽気な講習会を開いて、大盛り上がり、血気盛ん、ああ、好きにしてくれ、僕はもう絶望しているよ。商工会議所の販促事業や講習会に熱心な業者は、彼ら彼女らの覚え目出度く、無事「成功事例」におさまる。行政から表彰される事もあるだろう。虚無に近い絶望を感ずるのだが、読者諸氏においてはどうだろうか。
 
蛇足ではあるが、最近は、何かしらの「ファン」に、運営側、もしくは自然発生的に「名前」を付ける、というのが流行している。もっとも、ギャンブルが好きな人をギャンブラーなどと言ったりするので、言語としては自然であるが、本当にコンテンツが大きくなる前からファンに名前を付けて、ファンもコンテンツも一緒に育てる、というのが潮流だ。ラブライブのファンをラブライバーと称するのも、その流れの中にある。ファンの忠誠心を高めるといった利点があるが、ファンの内/外にラインが引かれてしまい、ファン/アンチといった世界観に陥る恐れもあるので、注意されたい。
 


木下斉の一連の「地方」シリーズも素晴らしいが、観光という点で、ジョン・アーリ(共著)の「観光のまなざし」をすすめたい。電子書籍になっていないのは残念だが(手元において、何度か読みたいので)、現代の日本の「街おこし」を、世界的な観光ブームの文脈で読み換える事ができるだろう。
  


 
山上たつひこ・いがらしみきおの「羊の木」、これは映画にもなった。刑務所から出てきた人間が、とある地方の街で働くというプロジェクト。いがらしの筆致は、本当にこういう、地方の、くだらなさを表現するのに長けている。この話の刑務所から云々というのも、「街おこしとして」というのが端緒になっている。面白い漫画です。
  



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