何故、他人の赤子に怒るのか

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他人の赤子が泣こうと、喚こうと、
全くこちらの関係するところではない。
 
高校生ぐらいが、肩をそびやかして、
大騒ぎしていたら、少しは警戒しても
まあ、これはわかる。
 
だけど、相手は乳児、若しくは幼児で
あり、どれだけ泣いても、喚いても、
こちらに何の危険性もある訳ではない。
 
聴覚というのは、確かに受動的な器官では
あるし、聞きたくない事を聞くのはストレスには
なるが、本質的には、危険性は低い。
 
「赤ん坊がうるせえ!黙らせろ!」
というのは、保守思想というより、
一種の聴覚過敏、聴覚気付き亢進だろう。
 
その聴覚過敏の原因は、対他緊張である。
赤ん坊が泣いている、という緊張感に耐えられず、
怒声を浴びせるという塩梅だろう。
 
その種の人間は、分裂病質のタイプの
人間なのだろうな、と思う。分裂病質で
攻撃的な人物像を想像する。
 
若しくは、単に攻撃的な人物像だろう。
赤ん坊が泣いているのは悪い事であり、
故に自分は怒声を浴びせる、いや、浴びせなくては
ならない。強迫性の何かもあろうか。
 
しかし、何をもって病的とするか、そうでないか、
というのは非常に難しい。極めて鈍感か、
若しくは極めて寛容でなければ、病理の罠に
嵌まってしまうのである。
 
つまり、乳幼児が騒いでいても気にしない、
という性質の我々は、ますます、その寛容の度合い、
無感覚の度合い、非緊張の度合いを高めて、
その場に良い空気を作っていく事が大事だと
思う。
 
最後に、話は逸れるのだが、
まず、感覚が鈍磨となり、そして対他緊張がきて、
然るのちに自生思考や被察妄想が出てくる、
という統合失調症の病理論を読んだが、
対他緊張の後に、統合失調症とは逆に、
相手への興味を失い、自分の話だけをする、
というのがアスペルガーなのかな?と少し
思った。対他緊張という身体の状態に対する
反応として、自生思考や被察妄想があるならば、
同様に対他緊張への反応として、アスペルガーの
場合は、他人への興味の喪失が起きるのでは
ないだろうか…。対他緊張を緩和するために、
相手、他人への興味を喪失させるという
プロセスがあるのではないか…。
 
アスペルガーや発達障害は、
うつ病系というより、統合失調症系の病で
あるように思うので、初期から極期に至る
プロセスは近いし、恐らく、相互に誤診
しやすい、兄弟のような関係なのではないかとも
思っている。これは仮説のプロットだ。
 


この記事について
このページは、2019年9月20日の午後2時23分に最初に書かれました。
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