サイゾーの謎の擁護キャンペーン

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サイゾーのゴシップは、ネットニュースのフィードに
流れてきて、読む事があるのだが、
妙に熱心にゴシップを書きたてる事もあれば、
妙に擁護する事もある。
 
以前、霊能者に女芸人が洗脳されたという騒動が
あったが、この女芸人の洗脳解除をしているのが
サイゾーのオーナーだったため、この女芸人に対する
ゴシップは一切、書かれなかった。
 
また、系列のネットメディアで石野卓球を擁護し、
バイキングを批判する記事を載せ、サイゾーの方で
「ネットでも賞賛の声が…」などと我田引水。
 
別にそういう手法がいけないとまでは言わないが、
マスメディアを批判しておきながら、そういう、
泥臭いマッチポンプのようなやり方をやるのは
どうだろうね~~~~~と僕は思います。
 
石野卓球に関しては、「ネットで守るべきカリスマ」
みたいな立ち位置になっていて、僕からすると、
本当に話題に出し辛い…。もうね、ネットもマスメディア
だと思うんだな。
 
「プロレスだ」なんて開き直るのは良いが、
少なくとも文化を担うメディアとして、
「クラブ文化とドラッグ」という、正攻法の
テーマに取り組んだネットメディアは非常に
少なかったように思う。なかった訳ではない。
 
僕は、石野卓球の「プロレス」は、
「クラブ文化とドラッグ」という、避け難いテーマの
フォーカスをボカすだけの茶番だったと思っている。
そういう意味で、全く笑えなかった。
卓球は確かに容疑者でも何でもないが、自身が
非機能的な要件で表現しておきながら、そこだけは
「自分は容疑者じゃない」とかわすのは、正直、
どこがカッコいいの?と僕は思う。
 
あの石野卓球の振る舞いは、
「自分は”クラブ文化とドラッグ”というテーマに
関して決着をつけない」という表明に見えた。
それはそれで構わない。僕はドラッグをこの世から
根絶できると思っていないから。でも、それを
カッコいいと見るのはちょっと違うと思う。
とことんダメだとしか思えないが、そういう状況も含めて
言えば面白いとはちょっと思う。
一種の時代性としての興味はある。
 
音楽雑誌だって、「ドラッグと音楽業界」という
テーマを扱える筈もなし、そうなるとこういう
テーマを扱えるのは、大衆雑誌か、書籍ブログ含む
個人の表現という事に留まる。
 
「昔は許された」論もあるが、
あくまで現代の倫理観と法律の枠組で向き合って
いかないと、絶対に解決法というのは見出せないと
僕は思う。これからの考え方は、これから作っていく
のだから。かつての自由よりも、これから、
今、自由になる方法を僕らは考えるべきだ。
 
「昔は許された」論で言ってしまえば、
例えば部下の首を日本刀で斬り落とした狂った
上司がいたとして、「信長だって手打ちにした
じゃないか」と擁護する事に等しいのではない
だろうか。つまりこの論法には欠陥があって、
あくまで現代の価値観の中で、発見して
いかなくてはいけない。
 
今回のような事があると、サイゾー系の
ゴシップというのは、文春や新潮とはちょっと違う
んだな、と思う。アッチ系のアレだ。
 
僕がゴシップばかり読むから、そういう正統派の
ニュースがフィードに流れてこないのかも
知れないが…。それにしても、安い記事が多いため、
やはり、読書をしないと、僕自身が考える事も
「安く」なってしまわないかと心配だ。


この記事について


このページは、2019年4月12日に最初に書かれました。
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