「政府の要請」というやつで、イベントが中止になったり、公立の小中学校等が長い春休みになったりしている。あるミュージシャンのツイートで「政府がはっきり決めて欲しい」というのがあった。「良い超法規的処置」ならば歓迎する…というスタンスで、野党もいるようだ。桜を見る会のような私腹を肥やす事はダメだが、非常時に「良い超法規的処置」をするのは良い、という考えだ。
これは…いささか、権力というものをあまりにも信用しているのではないか。社会福祉と反権力が勝ち合った場合、とりあえず権力に社会福祉を行使してもらう…という、日本共産党や立憲民主党も含めた考え方。この、アンビバレンツに気付いている政治家も多かろうと思う。だが、それは大変に言いづらいのではないかと思う。
何せ、自由の象徴、ミュージシャンまでも「もっと政府がはっきり決めて欲しい」と言ってしまうのであるから。かつての第二次世界大戦のようなファシズムの形と違い、今回は軍国主義(も、あるが)、社会主義であろう。今、資本主義や民主主義が、一時的に、社会主義にだいぶ押されている形になる。
政府に「無策!無策!」と要求し、いざ要求が通れば「横暴!横暴!」と批判する、この流れは、完全に、自分で自分の首を絞めている…としか思えない。これはいわば世論に対する批判であって…メディアが政府の介入を煽り、一部の世論がそれに同調した結果…であるともいえる。
この社会主義的な対応が、一、二週間で終われば、まだ、まだしもマシなのかも知れないし、かなり不確実性が高い現象が今、発生しているため、「どちらが良かったか…」というのは、読めない部分はある。「時間が来れば終わる」のである。時間が来れば…。
「忖度」があれだけ批判されていたのに、この「政府の要請」に対する忖度に対する批判は少ないような気がする。WHOも中国に忖度したし、法治国家とか、民主主義とか、資本主義の価値観というものが、この社会のエンジンである事は、この「非常時」と喧伝され、定義されそうな現在であってもそうなのである。
不確実性が高く、知見が少ない状況であるし、ここ最近の日本は、伝染病を経験していないから、なかなか困難な点はあろうと思う。思い出せば、震災の時も、様々な情報が飛び交ったが、そのような刹那的な情報で、今も有用な情報というものはあるだろうか?これはテレビ、雑誌、ネット含め…である。そんなものはほとんどない。故に、細かく情報を仕入れる必要性はない。需要はあるようだが。
今こそ財政出動を!という意見もある。既に超低金利政策、金融緩和を行い、もう「リフレ」をやっているのだが、まだリフレが足りない…というのは、どういう知見なのだろうか?と思う。既にリフレ政策によって、景気の山で谷を潰している状況で、これ以上、潰す山はないよ。
非常時にしても、常時にしても、政府が行う補助金、投資の質…というのが本来、問われるべきである。確かに国家は通貨を発行できるが、通貨を発行できる主体が、赤字部門や非効率部門にどれだけ金をやっても溶けていくだけである。またぞろ、ケチャップの話であるが、今や日本も、社会福祉に最も資金を投ずるようになり、たいていの零細企業支援というのも、ある種の社会福祉といえる。
「リスク」はそもそも不確実性があるからこそ「リスク」である。リスクの度合いが読めない…これが不確実性の高いリスクだ。ある程度、度合いが読める「リスク」もあり、これは不確実性の低いリスクであろう。SNSや報道を見ていて思うのは、こういう時だからこそ、
を心がけたい。
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