震災と思想

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震災当時は、日本は大変なショックを受けて、
大量消費社会は終わっただとか、
可処分所得は底を尽いてオタクの時代は終わっただとか、
色々なところで言われたりもした。
 
だが…。
現時点ではそうではなかった。
確かに、本当に被災の渦中に遭った人たちは
そうではないだろう、だが、思想を稼業としている
東京、その他被災地以外に居住する人たちは、
再び元の生活にスッカリ戻っている。
 
安心・安全神話はますます強化され、
異常者の徘徊は行政によってロギングされ、
最近は好景気の終わりがアナウンスされてはいるが、
まるで震災などなかったように…。
 
ただ…。
その時、その時だけに必要とされる思想というものは
あるのだと思う。
あの時は、服喪が必要だったし、
あの時考えれる限りの、服喪で少し心を癒す必要が
あっただろう、あの時、それぞれが、できる限りの事を
して、話し、考えた、それが普遍的である必要は
あったのだろうか?
 
作家の思想…哲学者の思想…
SNSなどで配信されるこれらの言葉。
例えば新聞、雑誌の、大家の言葉、
例えば大家に対する不良の言葉…。
それが一時的であって、Temporaryなものに過ぎず、
ただその時を慰めるものであったとしても、
逆に僕らは、言葉や行動が、未来と歴史を貫くものと
どうして言い切れるだろうか?
 
これから僕は
どうなっちゃうんだろう。


この記事について


このページは、2019年2月24日に最初に書かれました。
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