ソーシャルパワー

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ソーシャルネットワークがもはやソーシャルでなくなった年
 
2018年12月27日 by Romain Dillet
 

一斉伝達の要素を、ソーシャルな関係性と結びつけようとするコンセプトは死んだ。

 

分断されていることが大切だった。複数のフォーラムに顔を出して活発に活動することが可能で、そこでは他のフォーラムでのことを話す必要はなかったのだ。

 

これまでは友達のことを忘れても大丈夫だった。これまでは様々な人たちのことを忘れても大丈夫だった。しかし、ソーシャルネットワークを使って連絡を取り合うことが可能であるという事実が、そうした「忘れること」を社会的に受け入れがたいものにしている。

 

政治や生活全般についてコメントしたいならば、それはFacebook上の友達に対してではなく、あなたの身の回りにいる人と話し合うことを考えてみるべきだ。

 
2018年、ようやく我々はスクリーンタイムを真剣にとらえ始めた
 
2018年12月27日 by Catherine Shu
 

ソーシャルメディアの使用を完全に制限されたわけではなかったにもかかわらず、コントロールされたグループは恩恵を受けた。「どちらのグループも、最初に行なった評価テストでみられた心配や不安について著しい低減がみられ、これは自己監視の高まりの効果を意味している」と研究はまとめられている。「我々の研究でわかったことは、1日30分ソーシャルメディアの使用を減らすことで健康面で明らかな改善につながる、ということだ」。

 
中学生の頃の事を思い出す。それは平凡な思い出だ。クラスの女子が、「XXちゃん良かったね」「おめでとう」などと口々に言い合っている。XXちゃんに良い事があったようだ。クラスの男子は、このところ険悪ムードで、「うるせえ」なんて毒づいている。リアルな世界であれば、平凡な風景だが、この構図がソーシャルメディアで行われてしまえば、
 
ネットマナーを守れないクソリプ
 
となってしまう。いや、僕ら男子は、今、それどころじゃないんだ。
 
あらゆるコミュニティが相互接続される前に、僕らは分断や孤独を自ら求めるだろう。世界が、一直線に、相互接続に向かって歩いている訳ではない。それは非線形で、平衡と混沌を行ったり来たりするだろう。ソーシャルメディアは、誰が制御している訳でもないのに、あらゆるコミュニティ、あらゆる人同士を、相互接続させようとする、大きな意志だ。このシリコンの大きな意志は、最早、「社会システム」と呼んで良い。そして今なら、日本の僕らは、ソーシャルメディアへの参加を拒否する事ができる(組織においての行動、業務の一部として強制される場合を除く)。
 
このソーシャルメディアのパワーに気付いたからこそ、中国、インドは、信用システムを国家で管理しようと向かっている。フーコーの監視社会は、西側諸国においてはソーシャル自体の民間相互監視の方向に向かったが、中国やインドについては、まるで古典的なSFを社会実験するが如くの状況になっている。


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このページは、2019年1月14日の午後3時05分に最初に書かれました。
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