やりたいことがなくてもいい。就活は「どんな暮らしをしたい」で考えていい
境野今日子 [キャリアプロデューサー]
Jan. 11, 2019, 05:00 PM LIFE11,044
今、大学生から相談を受ける立場になったが、「やりたいことがない」「何がしたいのか自分でも分からない」という内容は非常に多い。私もまさにそこに悩みながら、何とか就活を終わらせた学生だったので、気持ちが痛いほど分かる。
しかし、そういった学生に、「どこで暮らしたいですか?」「誰と一緒に過ごしたいですか?」「どんな生活がしたいですか?」といった、暮らしに寄せた質問をすると、多くの学生がスラスラと答える。「では、今答えてもらったところから考えようか」と提案すると、「え、いいんですか?」と驚かれる。
なぜ、驚かれてしまうのだろうか。自分の将来は、暮らし方から考えたっていいはずだ。
もちろん、やりたいことを問うこと自体が悪いというわけではない。過去を振り返るきっかけや、改めて自分が好きなモノ・コトについて考え、気付く機会になると思っている。しかし、どう暮らしたいか、もっと言うと、「自分はどう在りたいか」という問いから就活をスタートさせたっていいのではないか。
好きな事がないとか、プロ意識がないとか、
そういうだけで「人間として欠陥がある」という擦り込みがされている。
まず、言いたい。
好きな事がない、というのは人間として異常ではない。
それは、「近代的自我」若しくは「ビジネスパーソン(笑)」
の標準モデルであって、
誰しもそれになれる訳ではない。
現代に適応できない人間はいる。
僕もそうだし、だからこそ本なんかを読んでいるんだから。
社会に適応している人は、読書の必要がない。
プライドを捨てて、
好きな事も得意な事もないけど生きている、そして幸せそうな
モデルを探してみよう。
そもそも封建社会であれば、選べる職業というのは限られていたし…
という話も良くある。
「好きを仕事に!」「プロになろう!」という現代の考えから、
一旦降りると楽になる。
職業意識の高さと、職能の高さは恐らく、線形の正比例ではないと思う。
意識は低いけど仕事できる人、カッコイイじゃないですか?
労働者としての権利を主張するより会社に尽くすように
矯正される新入社員研修を受け、
ふと、自分の労働者としての生活を見つめてみた時に、恐らく、
職業意識を高く保てない人は、ギャップを感じてしまうだろう。
こんな筈じゃなかった、と。
そして、「独立しよう」「ネットで稼げる」みたいなのに絡め取られてしまったり、
無謀な夢を仕事にしようとしてしまったり…。
不本意な仕事をしている自分は不幸だ、と思ってしまい…。
あー、自分で書いていて、耳が痛い(笑)。
この記事について
このページは、2019年1月14日の午後3時37分に最初に書かれました。
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