その人

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その人は、今日も母と喧嘩をしていた。喧嘩というより、
いつも、一方的に母をなじり、非を責めていく。
その人は弁が立ち、僕までもが、母の方に非が
あるのだと思うようになった。
 
その人は、お店の黒電話の近くで、激昂し、とにかく
罵声を母に浴びせていた。謝るまで許さないし、
謝り方に不満の表情があると、また怒る。
 
この頃、その人は、母に手を出しかかる事があった。
僕は、それを止めていたように思う。XXに救われたな、
XXに免じて許してやる、などと言っていた。
 
今から思えば、その人は、境界性人格障害と言われる
ものだったと思う。そうでなければ、天性の
サディストだろう。
 
その日。その人は、まるで、ボクサーが手負いの相手に
殴りかかるように、母に殴りかかった。僕は硬直して
しまって、ただ、それをじっと見ていた。母は、倒れ
こんだ。そして母は言った。
どうして助けてくれなかったの。どうして今日は助けて
くれなかったの、と言った。
 
母は、泣きながら実家に帰った。殴った後の、その人は、
妙に僕に優しかった。僕は、その人が、計算の上で優しく
しているのだと思った。僕という味方まで失ってしまうと、
立場を失くす事は明らかだからだ。
 
僕は、インターネット以外の場で、この事を他人に話した
事がない。友人にも先生にも、誰にも話した事がない。
その人は、決まり文句で、文句があるなら家を出てゆけ、
と言った。僕は、追い出される訳にはいかなかったからだ。
 
数日後、母は、母の母と一緒に、家に帰ってきた。
顔はお岩さんのように腫れていた。そして、家に置かせて
下さい、あたしが悪うございました、と尚も、
謝った。その人は、それを受け容れた。
 
僕は、この事を一生忘れないし、根本的な部分で、
人間の根本的な部分において、その人を許す事はできない。
僕の思春期の対人恐怖と、このエピソードが、関係しているか
どうかはわからない。これがトラウマというものなのか、
僕にはわからない。だが、このエピソードを消化するのには、
長い年月が必要だった。
 
このエピソードは、家族の間で、何度か話した。だが、この
話は家族の中では封印している。母が思い出して嫌な気持ちに
なるからだ。僕は、母と、その人を七年間ぐらい、在宅で
介護した。親孝行という気持ちもない訳ではないが、
長い長い復讐という意味合いもあった。あれだけの暴君が、
少しずつ弱っていく姿を見ながら、逆に賢明に介護する。
自分が殴り倒した相手に、じっと介護される気持ちはどうだろう?
殴り倒して尚、罵声を浴びせるような人間にこそ、
介護が必要なのだ。
 
僕の統合失調症は、この介護の生活によって、寛解が
進んでいったように思う。母に介護させて済まなかったと
思う。それでも、僕たちは、施設にいきなり入れてしまうのは
可哀想だと思った。介護はカネだ。確かにカネだ。
だが、それだけじゃない。血と汗にまみれたカネだ。


この記事について


このページは、2019年9月12日に最初に書かれました。
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