車社会

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三重県津市の成人式で袴姿のタイ人少年逮捕、全ドアなし改造車で警察官にぶつける
 
2019年1月14日 配信
 

成人式に出席するため袴姿だった少年は、全てのドアを取り外し、ナンバープレートもない改造車を運転して会場に到着。

 
改造車というのは、不良が自己拡張=サイボーグ的な夢想でもって作り上げるから、
「全てのドアを取り外し」「ナンバープレートもない」という逸脱は
改造車に自己を投影している。
 
僕は、運転に恐怖を感じてしまい、自動車と一体感を感じるとか
自分の拡張と感じるとか、フェティシズムを感じるとか、そういうのが
本当に一切ない。
免許も取ったが、完全にペーパーなので返上してしまった。
 
以前の記事で指摘した
「リキッド・モダニティ」な世界観、本来であれば、
敵はグローバリズムでもアンチ・ナショナリズムでもなくて、
 

コミュニティの区分けをズタズタに寸断する
公道と歩行者に威圧的な自動車たち

 
なのではないか、とすら思う。
日本では戦後から、自動車の普及が始まった。
少なくとも、コミュニティ主義の敵は「アメリカニズム」ではなくて
「モータリゼーション」なのではないか、と僕は思う。
 
ただ、そういう論旨にしてしまうと、世界的な現象となってしまう。
日本に固有の、日本に特別な問題とするには、
やっぱり敵はアメちゃんにしたいんだなあ、日本の文化人は。
 
モータリゼーションこそアメリカニズムだ、と反論が
来そうであるが、結局、日本の道路ではアメ車は普及しなかったし、
XX県は車の運転が荒いとか、YYという国は運転マナーが良いとか、
良し悪しだけでなくて、運転にまつわるコミュニケーション
っていうのも国によって違う。道路をどうインフラしていくのかも
違う。
 
だからモータリゼーションはとてもローカライズされているし、
むしろローカルそのものでありながら、非場所でもある、
非場所であるからこそ、何かの「事件」が起きればその公道は「場所」になる、
グローバリズム≠アメリカニズム
グローバリズム≠モータリゼーション
である、と言える。


この記事について


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