時間

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時間が余ると、何となくダラダラしてSNSを見てしまい、イライラするニュースが流れ込んできて投稿してしまう。または、あまりに次元の低い日本のワイドショーを見て血圧が上がる。
  
これほど時間の浪費はない。いや、ただ穏やかに過ごしていれば時間の浪費は良い浪費だ。しかし、わざわざ自分から敵を見つける必要はない。
  
低徊趣味という言葉がある。夏目漱石も低徊趣味を小説で説いていたらしく、世間の煩わしさから距離を置いて気ままに暮らすとかそんな意味らしい。セカイ系(これも古い)というのがあまり性に合わないので、これから、しばらくの間でも低徊趣味で生きようかとも思うが、
  
世間から身を離したとしても、やはり色々な事を避けては生きてゆけない。何にせよ、あまりにくだらない「要請」が同調圧力として蔓延る今の日本であるからして、ただ何でも上から言われた事に従うというのであれば、ますます貧しくなるし損をする。
  
日本ではワクチン接種が進んで以降、新型コロナのリスクはインフルエンザ並みに落ち、だとすれば呼吸器を病んだ人を診れる体制があれば問題ない。そう、問題ない筈なのだが、危機感が足りないなどと白痴の如き論説がまだまだ世間のオモテで大上段を切っている以上、どうしようもない。中卒、高卒の標準レベルにも満たない論説が主流で、大衆が理解するのは偏差値30~40のレベルである。そもそも試験すら受ける気のないレベルが主流であるからして、当然そうなる。
  
偏差値30~40のレベルというのは、標準的な理解を問う設問に対して正答率が0%~20%ぐらいである。大衆はウィルスを理解していない。感染症の歴史も理解していない。つまり限りなく無知に等しく、ただ疫鬼だ疫鬼だと怯えるだけだ。理解している者たちは沈黙し、理解していない者たちはヒスを起こす。もう手詰まりなのだ。マスメディアが淡々と視聴者を啓蒙し、教育するという姿勢を放棄して、センセーショナリズムに走っているから、もう、終わりである。
  
低徊趣味、何事も程度問題ではあるが、政治家も役所も行政も、肚を据えて悪人になる覚悟がない以上、どれだけ俺のような小さき弱き者が何を言おうと最早、通らぬ。ノアの箱舟ではないが、小さな泥船の如き船に乗って、それを漕ぎながら、意の通じる者と助け合う、ぐらいにしか光はない。無力なのだ。無力だ。力のある者は誰も悪人になろうとしない。もう終わった。太陽が落ちた。改善の目は万にひとつもなく、ただただ斜陽を眺めるだけである。


この記事について
このページは、2021年8月28日の午後4時40分に最初に書かれました。
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