反グローバル主義というものがある。
グローバルな価値観が自分の国に入ってくる事に
対する闘争である…が、
価値観や制度が入ってくるのはダメだが、
情報だけ手にするのは良い、
良いニュースであれば知るべきだ、といった
様相になっている。
「それは当然じゃないか」と思われる向きも
あろうが、グローバル主義というものがあると
して、そのグローバル主義はもっと大きな枠組の
グローバル・システムに内包されている。
我々が無意識で見過ごしているものの内にこそ、
グローバル・システムの恩寵がある。
特に日本に住んでいればそうだろう。
グローバル主義の弊害というものは、グローバル・
システムを修正する事でしか克服できない。
ただ…不公平であるぐらいなら、みんなで貧しくなった
方が良いという考え方もある。
少なくとも、日本において、ナショナリズムと
反グローバル主義が結びつくのは不思議な話であって、
本来、反グローバル主義は、一番収奪されている
最貧国の国民を救済する目的でないといけないと思う。
そもそも、グローバル主義そのものの、正体は不明な
部分はある。あくまで比喩的に、僕らはそれを感じ取って
いるだけだ。封建時代の民衆も施政者も、封建主義を
理解していなかったように、僕らも、僕らの時代の
グローバル主義というのは理解できないのではないだろうか?
あまりにも自明なものは、あとで振り返ってみて、
あんなものだったと思うのだろう。
それとも、グローバル主義の時代になって、はじめて、
人類は今、どういう状態であるか理解できるように
なっているのだろうか?または、AIが極度に進歩すれば、
AIは現在、世界がどうなっているか価値判断を伴って
理解できるようになるのだろうか?
この記事について
このページは、2019年3月27日の午後9時18分に最初に書かれました。
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