薬物汚染に対する社会的憎悪

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日韓の様々な問題にしても、
ピエール瀧の逮捕で話題となった薬物汚染にしても、
そう、例え貧困問題、いわゆる”アベ政治”の事に
関してでも、
社会的憎悪を掻き立てる事は、問題の解決にはならない。
ただ、耳目を集めるというだけだ。
 
僕らは常識として事件を知っておく必要はあるが、
社会に服従して、社会が憎むものを個人的にも
憎む必要はない。
心の中の裁判所で無罪判決を出す自由がある。
 
ことに、薬物汚染に関して、一定程度の浄化を
目的とするなら、本当に目的とするなら、むしろ
販売自粛なんて全くしない方が良い。
 
警察もマトリも人の子だ、経済的影響が大きいとなれば、
逮捕には慎重になるだろう。ドラッグ使用者を逮捕する
社会的、経済的コストが高まれば高まるほど、
逮捕はし辛くなるのではないだろうか?
 
だから、この手の「販売自粛」というものは、
間接的に、「次の逮捕者」を出し辛くする儀式=セレモニー
のように、僕は感じてしまう。
 
販売自粛は、現在、ドラッグをやっている人たちに対して
自省、自制を促し、治療に向かわせる心理的契機にもなるだろうが、
それよりも、逮捕されるまで止めない常習者に対しては
警察、マトリの逮捕する社会的・経済的コストを引き上げる事にも
なっていはしませんか?
 
ピエール瀧が逮捕される前、ASKAや清原が逮捕された。
執行猶予付きで実刑も出ている。
にも拘わらず、ピエール瀧はドラッグを止めなかったのである。
つまり、社会的・経済的制裁の前例は、少なくともピエール瀧については
抑止力とならなかった。警察やマトリも、社会的・経済的な影響が
大きかろうと、小さかろうと、平等に逮捕に踏み込むという事は絶対ない。
法の下の平等はあくまで逮捕され、立件された者に対しでであって、
それ以前の人間に対して不平等があるのは、僕らは、どんな人が職務質問
されるかというのを見て、経験的に知っている筈だ。
 
整合性を考えるなら、僕たちの社会は、無意識のうちに、「全てのドラッグ
使用者は摘発できない」という事を知っているので、「それならば、逮捕者が
出たら逐一、血祭りにあげていった方が良い」と判断しているのかも知れないな、
と思う。こういう構造も含めて、なかなかドラッグ根絶という訳にはいかない
のだ。法律上の制裁だけでなく、社会的・経済的な制裁を社会が追加する事で、
逮捕するコストは上がってしまうのである。
 
シェーッ!!!!!(永野による)


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