コミュニティのコスト

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世の中の、だいたいの事は「カネ」とか「愛」とかであるからして、
「日本のコミュニティ崩壊…」というのも、「コスト」で説明がつく
ものである。僕の実感としても近い。
 
まずもって、景気が良く、商売が良い状態であれば、
コミュニティに余剰の労働力を投入できる。それはサラリーマンでも
同様で、自分の仕事や家庭が安定していればこそ、無償労働も
できる、というように考えられるだろう。
 
コミュニティを維持するには、コストがかかる。
その活動内容によって、必要な余剰の労働力は変わってくる。
コミュニティを維持するには、現状、投入できそうな余剰の労働力に
対して、活動内容を決めなければならない。
 
だから、「PTA役員が決まらない…」「自治会長が決まらない…」ので
あれば、必要な余剰の労働力を減らして、活動を減らすべきなのだ。
コミュニティ自体が生み出す便益は、あくまで、無償の、余剰の
労働力に支えられているのだから、労働力の供給が減っているので
あれば、活動自体を調整する必要がある。
 
そうでないと、役員を逃げる人を責める…という、あまり楽しくない
状況になる。役員を逃げる人、というのは、一種のメッセージで
あって、そのメッセージとは、「余剰の労働力が不足している」
という「事実」である。
 
現代、2019年7月の日本において、労働力が余剰している…という状況では
有り得ない。求人倍率を見ればいい。求人倍率自体は、庶民の生活の
安定をそのまま意味する訳ではないが…。ただ、言えるのは、
労働力は逼迫している。企業だって、不要な事業からは撤退している昨今
である。自治会、町内会、PTA、商店街…これらの団体においても、
「戦略的撤退」を検討の遡上にも乗せなければ、事業そのもの、
組織そのものがクラッシュする危険性があると思う。


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