先日のブログでも書いたが、うちの父親が、ドリフターズが嫌いであり、ドリフのオープニングでチャンネルを変えられてしまっていたのである。テレビ自体を、あまり見てはいけない、という教育方針だった。どこの家も、多かれ少なかれ、似たような状況であったと思っていたのだが、実際、ドリフを見せてもらっていた、家族で見ていたという状況があるようなのだ。
理屈ではわかっているのだが、感情として、それをやっぱり受け入れられないでいる。世の父親というものは、お笑い番組というものに眉をしかめるものであり、子供はそれを隠れてみるものだ、という感情が、僕の中に残っている。
父が脳梗塞になり、認知症になって、ようやく、実家でお笑い番組を見る事ができるようになった。いわゆるトレンディ・ドラマも同様で、あの高視聴率の時代に、「僕は死にません」だの何だの、見ていない。でも、それが、僕が創作というものに向かった動機になっている。時代を生きる人間として、あれを知らない、あれを見ていないのでは話にならない、という風潮に逆らいたい、という気持ちがある。
「戦争を知らない子供たち」という歌があったが、これからは、ドリフを知らない世代、志村けんを知らない世代が出てくるだろう。でも、時代が回って同じような事をするかも知れない。昨今のお笑いというものは、お約束事が多くなってきてしまっている。EXITの兼近氏は、家が貧しくてテレビをほとんど見ていないが、人気者になっているし、笑いもしっかりと取っている。心強い。
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