美少女アニメは日陰者

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エルフソフト陥落の歴史第六章 沙織事件とエルフ設立コンビの解消
 

そして、ドラゴンナイト3の発売を控えた11月に事件は起こった。
パソコンソフトを万引きした高校生によって美少女ゲームが警察に知られるようになり、わいせつ図画として 
取り締まりを受けた。
モザイクという表現の規制はあくまでもメーカーの自主規制によって成り立っていたので、共通のルールは無く、
また、裏技で外れたりゲームは無修正でも発売される状態というお粗末なゲーム業界だった。
 
アイデスとジャストは万引きされた商品の製作会社というだけで摘発され、美少女ゲーム業界は揺れた。
各社は自主回収を始め、会社を突然潰すソフトハウスも現れた。
発売予定のゲームは黒塗りのモザイクを追加するなどの対処を施し、あるいは下着を書いて誤魔化し、
何が何でも摘発されるのだけは避けようと、必死の防衛戦が始まる。
 
さらに翌年の1992年。「DEJA2 雀JAKA雀 天神乱魔 ドラゴンナイト3」
まで全年齢版が発売され、18禁と全年齢に分かれた独自レーティングがエルフに敷かれる。
もっともエルフのゲームは修正するほどの描写は無く、ほとんど無駄な努力だとユーザーの失笑を買い
全年齢版は悲惨なまでに売れ残った。
 
追い打ちをかけたのが、現在はエヴァンゲリオンで話題のガイナックス謹製「電脳学園シリーズ」
はっちゃけあやよさんをオマージュしたこの作品はプリンセスメーカー効果もあって大ヒットしたが、
そのおかげで、わいせつ図画としても大ヒット摘発!
控訴しようにも却下や敗訴の嵐で、大人たちはさらに美少女ゲームを非難し続ける結果になった。

 
1991年から1992年の事である。当時の事を思い出してみると、その頃は僕は中学生だったが、「ドラゴンナイト」という単語が、パソコンフリークの同級生の口から囁かれていた記憶が確かにある。それはとてもエッチなゲームらしかった。学校の先生から、「パソコンでエッチなゲームをしてはいけません」という通達を聞いた記憶があるので、恐らく、この事件の前後の事だと思う。
 
美少女ゲーム・美少女アニメというのは、日陰者の筈だった。そのスティグマを覆した、2019年の状況は、喜んで良いのか、悲しんだら良いのか…。僕らは、市民権を得るために、美少女ゲームや美少女アニメを楽しんでいたのだろうか?公道に美少女のイラストレーションの旗がはためくのを目標として、そうしてきたのだろうか?
 
そうじゃないだろう?
 
1990年代は、深夜でもエッチなテレビ番組をやっており、ギルガメッシュナイトなんかは有名だろう。ティッシュタイムというのがあった。これが、あまり良くないティッシュタイムの時は、悶々とした…。この時代は「エロブーム」だったとされるし、アダルトビデオのレンタルなんかも全盛期だっただろう。そういう時代に思春期を送った僕は、今の去勢されたような「萌えアニメ」というのは、受け入れ難い。
 
1990年代当時でさえ、小林よしのり氏が、この頃の美少女アニメをして、「昔のわしが読んでいたエロ劇画と比べれば、最近のアニメ絵のエロは甘い」みたいな事を描いていた。世代的なものというより、例えば吾妻ひでお氏なんかは、小林氏よりも年齢は上の筈だが、ロリコンの教祖となってしまっているし、恐らく、90年代の美少女系なんかにも寛容なんじゃないかと思う。恐らく、僕と同じ世代であっても、現在の「去勢されたような萌えアニメ」に好意的な人はいるんじゃないかと思う。
 
ただ…行政規模で、美少女アニメとコラボレーションするという、現在の状況は何であるのか?こんなにアッサリと、市民権を得てしまって良いのか?性の商品化というのにうるさい時代であるのに、どうして、美少女アニメ、萌えアニメは行政とコラボレーションしてしまうのだろうか?
 
街おこしのネタが欲しい行政と、ライセンスで行政サイドからマネタイズしたいアニメ制作側、この利害が一致して、美少女アニメによる街おこしが実現した…僕はそんな風に理解している。街おこしというのは、常に流行のネタを求めている。聖地巡礼が流行している、アニメーション産業は成長している、それ、バスに乗り遅れるな、と言わんばかりに。
 
かくして、かつての、美少女アニメの暗い歴史は、少なくとも公的に、闇に葬られようとしている。かつては…僕が知っている90年代というのは、美少女アニメと、エッチな美少女アニメの境界線というのが、非常に曖昧な時代だったように記憶している。「男子が見ている変な物」という認識があったように思う。2019年の現在は、しっかりと境界線が引かれ、境界線のこっち側はクールジャパン、あっち側は規制の対象、と白黒をハッキリ付けようとしているように思う。
 
ラブライブ・サンシャインのリアリティで僕が指摘した、この「ラブライブ・サンシャイン」というアニメの構造。エッチな要素も、ストーリー性も捨てて、キャラクターを前面に押し出す、昨今の萌えアニメ=美少女アニメ。小林よしのり氏が言うところの「90年代の、本当のエロじゃない美少女アニメ」は、ますます洗練されてゆき、最早、エロすらも喪失しようとしている。それはクールジャパンのためであり、性の商品化という誹りを免れるためだ。エロという思想すらなくしてしまった美少女アニメを、僕は好きになれない。
 
ただ…美少女アニメ=萌えアニメというジャンルを、そのジャンル自体を、本当にそのまま愛している人たちにとっては、昨今の状況は面白いものであるのだろうな…という予感はする。言うても、もっとヘビーなユーザーにとってはどうなのか、という気はする。そもそも、エッチな美少女アニメや、美少女ゲームというジャンルは、アダルトビデオのネット配信によって死んだようなものである。現在、このジャンルに残っている層というのは、もう、エロを求めていないのでは…。
 
世の中には、アダルトビデオもエッチな画像も見ない男性というのがあるのではないだろうか。そういう男性のセクシャリティの向かう方向というのがきっとある。18歳未満なのでアダルトビデオを借りられないから、しょうがなく?エッチなアニメやゲームをするという、時代的な制約条件から由来する感覚では、若い世代が萌えアニメに夢中になる感覚をどうしたって理解する事はできない…。そして、この時代的な制約条件が、制約条件じゃなかった=二次元が好き、という感覚も僕はあまり理解ができない。一枚岩に亀裂が走ったような状況ではあるが、この状況自体には興味はある。
 
また、別の論点として、インフォーマルとパブリックは対立する概念なのか?という点だ。ダウンタウンの松ちゃんが何かに書いていたのだが、かつての尼崎は、「おばあちゃんが乳を出して路地を歩いているような」世界だったという。老婆が乳を出して歩いているのが路地であるなら、美少女のアニメーションの旗がはためていても何も問題ないのではないか、というロジックだって成立する。
 

 
サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」
 

オルデンバーグがサードプレイスを「インフォーマルな公共生活の中核的環境」(第一章)と位置付けていることに留意すべきだ。というのは、現在のアメリカでは「インフォーマル」と「パブリック」とは相反する言葉のように感じられるからである。しかも、サードプレイスはそのような希少になった中核的な環境(“core setting”)である、と位置付けている。つまり、サードプレイスは単なる娯楽やストレス解消のための場所のみならず、家庭と職場という<第一の場所>と<第二の場所>に対して、確固たる貢献を果たしているということである。個人にとっても、家庭にとっても、社会全体にとっても、サードプレイスは重要な存在である、とオルデンバーグは指摘する。

 
少しややこしいのは、美少女アニメーションの文脈からすれば、「ラブライブ・サンシャイン」はインフォーマルであるのだけれども、Aquosの紅白出場をオール沼津で応援しようという行政の言葉から読み取れるように、明らかにパブリックとして「ラブライブ・サンシャイン」を位置付けようとしている点だ。このコンテンツ自体に、インフォーマルとパブリックが混在しているのである。
 
こんなややこしい話をしていないで、普通に楽しめば?という意見もあろうが、「ラブライブ・サンシャイン」というものをひとつの文化として認識しているので、その文化を受け容れるにあたって、ビジネス的な観点、街おこし的な観点からではなくて、もう少し、踏み込んだ文化的な議論というものがされていくべきだと思っている。時代時代のブームというのは、大衆が健忘症的に次々と消費し忘れていくものではない…と思っていたが、1990年というのは29年前の事である。日本の現代的な街並みが完成したのも90年代と言われているし、もう少し、こういう話が出ても良いんじゃないのかなあと思うのだが…。あまりにも運命論的に漂流しているような気がしてならないのである。


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