医学と社会

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例えば素粒子についての研究があったとする。
一般人や、社会が、素粒子について誤解していたと
しても、特に弊害はない。
 
ところが、物理学と同様に専門性の高い
医学…医療というものは、僕たちの人生にかなり、
直接的、間接的に関係してくる。
 
であるにも関わらず、僕たちは恐らく、
医学、医療というものを誤解していたりするだろうし、
また、医学、医療サイドからのミスリードも
あるだろう。
 
例えば、スマホや、映画の批評や批判が、受け入れられやすいのに
対し、医学、医療についての批評、批判というものは、
大仰になりやすい。
 
ナントカという映画監督が好きだ、嫌いだ、と言うように、
この病院は好き、嫌い、というのが、もう少しオープンになっても
良いのではないかと思うが、難しいだろう。
 
個人攻撃、泥仕合の様相を呈してくるのは明白だ。
医学、医療というのは、人の命というものが懸かってきている
ため、双方、本気になりやすい。
 
そうなると、結局は、自己防衛という事になってしまうため、
自分で勉強する必要がある。そういう構造になっており、
情報が非対称であるため、悪意の民間療法も跋扈するという
そういう塩梅式になっているという、つまらないお話。
 
精神病に対する誤解があって、この誤解を解いていかなくては
ならない…という話もある。だが、精神病というのは、あらゆる種類が
あって、新たな症候群が提唱されもし、また、解釈する人によって
病像も異なる。そんな容易な事ではない。


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