フロイトの夢解釈のフレームは
(1) 夢の要素となる直前、若しくはその前の出来事
(2) 夢の内容
(3) 夢の事後の解釈
となっており、夢を見た後に、見た人が語る時に
ある程度、恣意的な要素が入ると指摘している。
また、俗説的な夢解釈は、その夢を見た人の
言語体系に依存し、いわゆる「ダジャレ」的な
音韻の連想が夢に出てくる事を指摘している。
夢はひとつの言語である、と。
フロイトのオイディプス問題はそれはそれであるが、
フロイトが打ち砕いた筈の、前近代的な夢解釈の
残滓は、まだ、しっかりと僕らの社会に残っている。
この記事について
このページは、2019年4月12日の午前6時46分に最初に書かれました。
その後も、内容を更新したり、削除したりする場合があります。
古い記事は、内容が古くなっているか、間違っている場合があります。
その場合でも、訂正や修正をしない事もあります。
また、記事は、用語の厳密性に欠き、表記揺れも含みます。
厳密な調査に基づいた記事ではありません。これは筆者の主観です。
怪文章のようなものもありますので、回覧にはご注意下さい。
自分でも、「馬鹿が馬鹿言ってる」と思うような記事もございます。