父が糖尿病で死んだようなものなので、
酒量、食事の量には気を付けている。
まず、毎日飲むような事はないし、
食事についても、腹いっぱい食べる事のないように
しているのである。
そうすると、一方ではストレスが溜まるが、
基本的に体が軽くなるので、
全体的には快適な生活になると思っている。
喫煙習慣はある。
確かに、副流煙という形で、他人に害を
与えるという面はあると思っている。
吾妻ひでおの、アル中病棟の漫画があるが、
彼らの最後のオアシスは煙草であった。
あらゆる習慣、あらゆる食事には
リスクがある、どんな病気で死にたいか、
というのを選ぶ上で、
僕は煙草を吸って死ぬならしょうがないと思っている。
父は糖尿病で死んでも構わないと思って、
それでも晩酌や夜食をやめられなかったのだから、
それは本人の意志だ。
僕も、煙草が原因で病気になっても受け入れたい。
ただ…糖尿で死ぬのだけは嫌だ。
酒も煙草もギャンブルもやらず、
健康的な生活を送っていた人が
急死する事だってある。
これで何歳若返るとか、若見えとか、
無駄な努力をやめて、
それなりに老けて生きていくしかない。
若い人の感覚は、表面的には理解できても、
しょせん、沸き上がるような衝動は真似できない。
若さを言葉で表現できるのは、自分が老いてきたからだ。
二十歳の頃には戻りたくない、
そういう風に生きていきたいと思っている。
敢えて若者に嫌われようとか、好かれようとか、
世間にNOを突き付けるとか、迎合するとか、
そういう問題設定は、また別の眼を曇らせるものである。
「死に至る条件」とは何だろうか。
父の死因は、直接的な事で言えば、心筋梗塞であるが、
その前の条件として、慢性的な糖尿というものがあって、
それによって血管、心臓、内臓が弱っているし、
入院によって精神的に深い孤独を持っていた、
死因というのは、最後の引き金…トリガーであるだけだ。
喫煙、暴飲暴食、運動不足、ストレス、
人によってコップの大きさが違って、
入れていく水の量も、水質も異なる。
僕はどこまで、煙草を吸って生きられるのかなあ…
と、漠然と考えたりする。
とりあえず、ガスライターが欲しいなあ、などと、
時代錯誤な事を考えてりして生きている。
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このページは、2018年11月19日の午後7時04分に最初に書かれました。
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