DSM-5の違和感の本源

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DSM-5、もしくはICD-11が、どうしてここまで
人間の精神や行動の有り様を分類していくのか。
 
例えば、障害、は、disorderの訳語である。
dis-orderつまり、有るべきさまでない、
sicknessやillnessとの違いは、
原因が不明であり、直ちに健康に害がある
訳ではない、という意だ。
 
DSM-5を紐解いてみても、重篤な症状には
disorderは使われていない傾向が強い。
 
不勉強であったが、ICDはWHOの基準であり、
故に文科省はICDの方に準拠しているのだろう。
DSMはライセンスもあるとかないとか…。
 
WHOの定義する「健康」とは、

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。
https://www.japan-who.or.jp/commodity/kensyo.html

 
これが、時に、あまりにも残酷であり、
WHOの高邁すぎる理念は、不健康への嫌悪を生み、
同時に病気への恐怖を煽り立てる事にもなり、
極端すぎる目標に対する挫折から反医療の芽を育ててしまい、
新たなる病気の発見、分類、整理が高度化してゆき、
必要以上のリスクを負った検診、診断、治療を生んではいないだろうか…と思う。
 
本来、医療のリソースは、より重篤なものに対して優先して行われるべきだが、
このWHOの理念を世界にあまねく適応させようとすると、お金を持っている人、
医療リソースにアクセスしやすい人が、過剰に検診、診断、治療を受けるような
状況になる。
 
医療統計についても、経済統計や金融の指標と比べて、
あまりにもクローズドで業界への利益誘導的なようにも思う。
本当の大富豪には、専門のかかりつけ医がいるというが…それは何故か、
単なる時間の短縮というだけではない部分を、考えてしまうね。


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