芸能人-境界の人-

with コメントはまだありません


芸人=芸能人というのはそもそも卑しい身分である
偉い訳ではない…

という、一種の俗説のような話がある。

網野善彦やその系譜の本を読みましょうとしか
言いようがない。

そもそも河原乞食=芸能民の系譜で言えば
直系は歌舞伎役者、猿楽能楽等、古典的芸能の
方々だと思います。

現代において、古典的芸能の方々は
ある種の、聖と俗を行き来する立場に
戻られた訳であって、

それは良い事だと思う。


テレビの芸人というのは、
河原者=芸能民の系譜ではなく、
別のところから出てきたもので、

これはマスメディア、大量消費社会の
申し子のようなものだ、

テレビの芸能人は
テレビから生まれた。

河原者が河原=境界から生まれたように、
テレビの芸人=芸能人は
テレビという「境界」から生まれたのだ。

テレビの向こう側、
テレビ、
お茶の間、

僕らが見ているテレビの芸人=芸能人は、
まさに境界に存在している。

そういう意味で、河原者=境界の人=テレビの芸人
と解釈されているのかな、
と思いました。


寄席や舞台の芸人であっても
古典的な芸能の方々であっても、

「舞台」というのが、正に、
「境界」として機能している。

河原や辻の往来で披露していた芸能が
テレビや舞台という「境界的な装置」に
移行した。

そういう意味で言えば、
芸人は、「河原者」=「境界を行き来する人」
と言えるのだとは思います。


この記事について
このページは、に最初に書かれました。
その後も、内容を更新したり、削除したりする場合があります。
古い記事は、内容が古くなっているか、間違っている場合があります。
その場合でも、訂正や修正をしない事もあります。
また、記事は、用語の厳密性に欠き、表記揺れも含みます。
厳密な調査に基づいた記事ではありません。これは筆者の主観です。
怪文章のようなものもありますので、回覧にはご注意下さい。
自分でも、「馬鹿が馬鹿言ってる」と思うような記事もございます。




SiteMap | ページ一覧 | サイトマップ