白鵬という大横綱がいる。一部の好事家にはあまり好かれていないようで、それが切ない。まずもってして、いっとき、「八百長相撲」が問題となり、改めて「八百長相撲はいけない」といった建前が前面に出てきてしまった。そんな中、手心なし、人情相撲なしの、強いモンゴル力士が出てきた。それが白鵬であった…。僕はそんな風に認識している。
やくみつる氏は、かつて、白鵬に対して「まことに不幸な優勝」などと批判した事がある。それならば言おう。僕も言おう。それならば、八百長相撲(=人情相撲)や、手心を肯定せねばならぬ、と。ほどほどに負けたりする方が愛嬌があるとするならば、それを言おう。八百長相撲もダメ、いぎたなく勝ち過ぎるのもダメ、それでは、相撲は取れない。
思えば、日本人横綱といった十字架を背負わされた稀勢の里も、可哀想ではあった。稀勢の里も、横綱になれぬまま、大関で引退したとなれば、史上最強の大関、といった花も実も得られたであろう。不遇の大関として…。高下駄を履かされた横綱よりも、そちらの花と実の方が良かった…と僕は思う。
そしてまた…新たな大関が台頭し、相撲の一時代が始まろうとしているようにも思う。ゲームと大相撲の関係は、携帯ゲームを除けば、PS2の大相撲ゲームが最後だろうか。相撲のゲームは、あまり売れない、などといった話を聞く。相撲はあくまで”興行”である。日本の国技であり神事である、という事も含めて、その上位概念として、NHKの放送も含めて”興行”である。
かつてが相撲にとって幸福な時代だったか、現代が相撲にとって幸福な時代か、それははっきりとはわからないが、相撲が続いていく事を期待したい!
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このページは、2020年3月23日の午前5時06分に最初に書かれました。
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