一定の目途が…

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気になっていた事も解決・解消して、
一定の目途が付いたように思う。
 
人生には必ず、苦しみがあって、
その苦しみをショートカットする事は
できない。
 
僕は体育部に入る前の自分に戻りたいという
願望があって、それは、体育部に入る前は
父は元気であって僕も色々と他の活動をしたり
仕事をしていた。それが、体育部に加えて
父の介護をやるようになって、
全てできなくなってしまった。
 
辞めようと思って宣言したら、辞めさせないように
呪いの言葉をかけられたり、じゃあ影ながらサポート
しようと思えば、また悪罵をかけられる。
 
であるとするなら、「来年の事はわかりませんね~」と
適当にお茶を濁しつつ、知らぬ存ぜぬで頬かむりするしか
ないように思う。
 
今日は、もう会えないのでは…と思っていた人に会えたので、
本当に感動している。少し泣いた。
ここのところ、心が折れそうになったのは、「もう会えないのでは
ないか…」という不安、様々な罪悪感、諸々の状況と感情…
それが爆発したように思う。
 
自治会、町内会、コミュニティ、役員のなり手がいないので
あれば、やはり行事なり業務を縮小すべきであって、
そもそも、無償の労働を前提としているものに対して、
人手が足りないのであれば、その仕事自体をなくす、
減らすというのが本道であるように思う。
 
その、当たり前の考え方が、地方の社会では全く通用しない
事がある。都心においても、PTAの「社会」ではそんなように
見聞する。日本人にはボランティアが根付かない、などと言った
寝言は今後言わないでもらいたい。
僕たちは疲弊している。イベント疲れ、行事疲れだ。
全ての元凶は、地方交付税交付金から始まった「地方創生」
という、馬鹿官僚の設計した制度である。


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