大人の怒り

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父親なり、先生なり、先輩なり、
大人が怒ったとするじゃないですか。
ずっと怒っている訳にはいかないので、
いずれ矛を納めますよね。
これで矛を納められない人は犯罪者になる可能性が
高いので、そういう人は除外します。
 
その矛を納める、やり口です。
これはとっても難しい。
僕たちは、子供だったり、少年だったり
青年だったりしているうちに、何時の間にか
大人になって、大人として怒る日が来る、
僕はもうその日が来ている訳ですが、
 
シレッと怒りの矛を納めて、ニコニコ心から
笑って良いのかな?と、その前まで怒っていた
自分に義理立てするような感情があって、
すっきり矛を納められないなんて、気分にも
なるんですね。
 
今、こういう文章を書いている以上、
僕は矛を納めているといった塩梅式になります。
 
人間によっては、負の感情がないなんていう
人もいるらしいですが、普通の人である僕たちは、
負の感情が消えていくのを何度も見ている訳なんですが、
これは、日和りもありまして、難しい事です。
 
思えば、子供の時も悔しくて仕方がない日も夜も
ありました。枕を涙で濡らした夜もありました。
何れ、陽は登る、とはいえ…。


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