岡野一家あってこそのスルガ銀行だったし、
カルロス・ゴーンあっての日産自動車だった。
彼らは、並みの人間と違うし、
会社にも利益を齎しただろう。
勿論、世間にも。
法律によって私腹を肥やした事が
裁かれているに過ぎず、
彼らの人間としての値打ち、はまた別の問題だ。
フーコーを読もうかな。
フーコーを読んでのホモ・サケルだ。
このホモ・サケルっていうタイトル、何とかならんか。
ホモ・デウスって本もあるけど、ビックリしちゃうよね。
ホモ・サピエンスの「ホモ」だから。
人間サケル、人間デウスって意味合いやから。
ハアー
法哲学ってヤツですね、
現代において法律とは何ぞや、という問題。
法哲学がないと、弁護士も手続き主義的になりがちだ。
機能主義批判って、要は「手続き主義」批判の事なんかいな。
でもまあ、そんなに世の人が、
手続き主義に毒されているとも思わないけど…。
結局、よう知らんから、手続き的に物事を済ましているだけであって、
知らない間に「手続き」が済んで、僕らが快適に感じている部分も
ある訳だから、
現代の都市生活をしている人の「機能主義批判」って何なの?
文化的なロハスの迂遠な表現なんじゃないのって思うね。
かつての機能主義批判は、テクノロジーが社会と融合する以前の
思想だったと思うんだよね、
現代において機能主義批判をするっていうのは、
グローバル主義批判のようなもので、まあ、一派として有り得るけど、
かなり徒労ですね、って感じがしますな。
機能主義批判は、テクノロジーと社会の融合を止められなかったし、
現代に於いて機能主義批判ってどういう意味合いがあるのか?
日本共産党が自衛隊の最終的な解体を目指している、
これは実現したら本当に大変な事だけれども、
カウンターの思想としては絶対に必要。
このカウンターの思想がないと、イスラエルみたいに
全員軍人みたいな国家になってしまう。
それと同様な事が、反グローバル主義、反機能主義にも言える。
大事な思想。カウンターとして。
あくまで「抵抗」としての必要性だ。
それに美学があるのは理解する。
グローバル・システム自体が複雑系だし、これからAIが人間の意志を
増幅する社会になってゆくから、カウンターは必要、
そういう意味で「炎上しないソーシャル」はダメだ。
僕自身、僕個人としては、絶対、未来永劫来世まで炎上したくないけど…。
ああ、だから反啓蒙思想とセットなんだ。
なるほどねー。
反啓蒙思想っていうのは、順張りを止めろっていう意味合いで、
逆張りに関してはオッケーなんだ。理解した。
前々前世があるなら、
現々現世、来々来世もあって良いじゃない。
ナンチテ!?
現々現世に産湯を浸かり、
生まれは柴又帝釈天、
名は、カルロス・ゴーンと申す、
ケチな仏蘭西人の乞食でござあい、
哀れな乞食でござあいナンチテ!!!!
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このページは、2019年1月15日の午後7時37分に最初に書かれました。
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