貧しき弱き者は美しく…常に権力者とは悪辣で冷酷だ…という世界観は受け入れられやすい。何をぶっ壊せばロックなのか、というのが非常にわかり辛い時代となった。身近に抑圧者がおらず、最高権力者が自身に対して最も抑圧を与えている、と感じられるのであれば、彼は最高権力者を憎むようになるだろう。
それがあまりにもわかる、わかりすぎるので、見ていてもどかしい思いもあるのだが、最も身近な抑圧者であっても倒すのが難しい…と思っている僕にとって、最高権力者の首を取ったところで、何も変わる訳ではなくて、ただ世界の潮流という激流に飲まれていくのみだ、と漠然と思っている。オンライン・ゲームの討伐戦に参加するように、ネットで最高権力者叩きの討伐戦に参加したつもりになれば、いざ、彼が倒れれば幾らかのカタルシスは得られるであろう(これは、あまりにも皮肉がきついかも知れない)。
日本が特別に悪いとか、日本が特別に良いとか、どちらもナショナリズムの裏返しとナショナリズムに過ぎない。例えば日本で「カザフスタン・パッシング」を語る事はなく、わざわざ、日本で「ジャパン・パッシング」を語る。切なくて涙が出そうだ。
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