雑記

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別に内容で和解した訳ではないんだけれども、
もう「街作り」だとか「町興し」だとか「聖地巡礼」だとか
意見を差し挟む事も今後は遠慮申し上げる。

それぞれの店の自由だから。

どんな客層を狙っていくか
それは個別の店で考えていく事であって、
聖地巡礼がどうであろうと
自分の店の客層は、おのれで定義する、
それだけの話でははないのか?とは思う。

町興しやイベント等についても
最終的には自分の店の売上が立つとか
客単価が上がるとか
それが最終的な目的であって、
そこの腰が座っていない状況で
やれ「イベントに協力しない」などと言われても、
本当に困ってしまうのである。

自分の店の事だけを考える。
行事等で手伝う事があればそれに専念する。
大きな事は言いません、という事。

費用対効果とか効果測定をして
それに見合う客が得られなければやめるし、
得られれば続ける、それだけの事だ。

それを一律、街が一丸となってXXしましょう、
という、最近の「町興しブーム」にはいささか、
無理があるような気がしてならないのである。

商才があって、資本があって、不断の努力があって、幸運があれば
誰だってユニクロやニトリになれる。
そうではないのだから、その分を弁えないといけないのだ。


小室哲哉氏の記事や報道は直接は見ていないのだが、
「介護を言い訳にしてはいけない」という論調は
少し気になる。

これは、「介護者は、要介護者の居ないところで楽しんではいけない」
という考えから来るものだからだ。
不倫して楽しんでいたんでしょう?という下衆の勘繰りだ。

病気の妻を差し置いて不倫する、これはややもすれば
責められる風潮はあるし、
今回の事もそれに準じて、世論が味方になるかと
雑誌側は考えていたかも知れないが、

小室哲哉氏のこれまでの事、それから病後の
妻に対する献身、それらを総合的に加味して、
僕らはTKという存在そのもの、そしてTKサウンドを愛していたと思うのである。

むしろ、「こんな人でも在宅介護において悩みを抱えていたんだ」
という共感の方が大きかったように思う。

僕も、休日に遊びに行く所を近所の人に見られて、
「何処におでかけ?お父さんのお見舞い?」と聞かれて、
正直、とても嫌な気持ちになった事がある。

在宅介護をしている人間は、楽しんではいけないのか。
苦労、涙の十字架を背負って生きていかなくてはいけないのか。
異性と長時間同室しただけで、それを暴かれ、
不義密通の輩として断罪を受けなくてはいけないのか。


小室哲哉氏の過去がどうであろうと、
才能があろうとなかろうと、
少なくとも今は誠実に生きようとしている人間を
捕まえて、

何だろうと思う。

コメンテーター諸君に問う。

介護者は楽しんだり、弱みを見せてはいけないのか。
推測でしかない記事に対して、それ以上の内容を正直に告白した人間に対して、
追って石を投げるのは何故なのか。

順番が違いません?不倫であるというのは推測でしかない。
男性的不能までを告白した人間に対して、「介護を不倫の言い訳にするな」
というのは、何という傲慢だろうか、と僕は思う。

世論はどうあれ、小室哲哉氏に石を投げるコメンテーターより、
僕は、小室哲哉氏に、大きな同情と共感を寄せる。

デープ・スペクター氏の言うように、
「雑誌で芸能スクープが出る」→「テレビが後追い」
これも不思議な事だ。

テレビ屋さんの方が、ようよう、わかっていらっしゃる
でしょうに、
ホンマ、この構造、奇怪やで。
この構造の方がよっぽど恥ずかしいのとちゃうんかい!!!


この記事について
このページは、2018年1月20日の午後1時25分に最初に書かれました。
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自分でも、「馬鹿が馬鹿言ってる」と思うような記事もございます。






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