欲望する街があれば、欲望しない街もある。
現代の街おこし、地方創生というのは、
つまるところ、日本全国津々浦々で、
あらゆるところで「欲望する街」を再興しよう、
という考え方だ。
地方財政論を考えれば、そりゃ、どこでだって
「欲望する街」になってもらわにゃ、困る。
だけど、人間つーもんは、地方財政論の都合の
良いように欲望したり、非欲望したりしない。
非欲望の街。
それは罪悪だろうか?
他人が欲望するように、非欲望の街を
欲望の街に変えてしまって、何もかも失う事に
なりはしないだろうか?
人間は、常に一人は一人であって、
一人が二人になったり、三人になったり、
百人になったりしない。
欲望しない人間は、欲望する人を相手に
商売はできない。少年よ大志を抱け、の
「大志」は野望だ、という。野望というより、
欲望である。時代背景を考えれば、
欲望こそが人類の科学発展のエンジンであるからだ。
そう、それは飽くなき欲望である。
野望と欲望の違いは、愛と恋の違いを論じる
ようなものだ。つまりは欲望である。
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このページは、2019年3月11日の午後5時50分に最初に書かれました。
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